貸付と助成の 25年間 (25 YEARS OF LOANS AND AID)

Jargal Defacto
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25年前のモンゴル経済はゾ連に完全に依存していた。ところで1991年に東欧の社会主義体制やソ連の崩壊に伴い、総額は4億ドルのソ連・モンゴルの交換貿易協定解散された。従ってモンゴルの輸入量は8割までに削減され、経済は大幅に倒産されたという苦しくて寒い冬を迎えた。どこの店に入っても店員と塩しかなかったのは現実だった。

当時のモンゴルでは一つの政党に統治された社会主義から民主主義へ、そして中央計画経済から自由市場経済への移行が開催された。この歴史的な遷移を振り返ってみると数多くの功績あったけれでも不足な部分も少なくなかったようだ。このような政治的と経済的な二重移行は援助国や国際機関からの融資や援助なしには達成できなかった。

政府開発援助

モンゴルは1991年2月14日に(当年のモンゴルの正月)世界銀行加盟国になった。前日に次々と国際通貨基金(IMF)やアジア開発銀行の一員になり、最初の協力協定を締結した。つきまして、我々は新たなパートナーを獲得したという素晴らしい功績を持ちながら未年を歓迎した。当時モンゴル人にとってあまりにも承知されてなかった民主主義と自由市場を構築するために、まずは新しく出来たパートナーから経済発達や金融政策について色々学習する必要があった。

移行時期の様々な挑戦や経済危機を乗り越えるために1991年の8月に国際通貨基金と交渉し、まず最初に財政赤字を縮小することを目的にして「スタンド・バイ」プログラムを実施した。従って世界銀行、アジア開発銀行および援助国、特に日本政府から技術援助やソフトローンなどの支援を積極的に受けるようになった。最初に海外からの融資を農業、エネルギー、石炭採掘、燃料の購入等と輸送等という分野に不可欠となっていた設備投資に使用した。

それ以来モンゴル政府は国際通貨基金と協力し続き、金融制度と財政制度を国際基準に整列させる、団結国庫を造る、税務環境を明確化する、金融と銀行あるいは保険分野を改革するという数多くの活動しきた。

一方世界銀行と協力して、公共管理の改善、都市開発の強化、国民教育支援、ウランバートル市の管理強化、大気汚染の削減、工業部門の管理強化、地方インフラ整備、環境保護問題に関する政策を策定という幾つもの重要な稼動を実施した。さらに、モンゴルの極端な天候や遊牧民の特別な生活に基づいた「家畜保険」という世界初の保険商品を発行したのは今まで正常に実装されている。

「持続可能な生活」開発プロジェクトの下、改正予算法律に従って地方開発基金が設立された。この上、地方の財産を登録し、市民参画を高め、マイクロファイナンスを開発し、予算集権を散らして地方に配分することによって地方に投資する機会を拡張した。

アジア開発銀行はこれまでに合計16億ドルの資金をモンゴルに提供し、教育、保険、金融、インフラ、都市開発などの多くの分野で276件以上の融資、援助や技術支援などを実施してきた最大級のパートナーの一つである。彼らの資金調達のおかげでモンゴルの西部地域で垂直道路網がまもなく実装され、南と北の近隣諸国を結ぶだけではなく、アジアとヨーロッパ間の新たな廊下が建てられるようだ。また、教育分野で実施されたプロジェクトとして12年間の教育制度に移行さし、カリキュラムと教育基準そして教授方法を改善したことをここで述べてもいい。健康分野では、病院のインフラ投資計画システムを構成し、ソンギノハイラハン区では模範的な地区病院を建設した。そこで安全な輸血、医療廃棄物管理、病院での安全衛生、疾病予防に関する多くの取り組みが行った。

モンゴル政府は1991年から2014年の間に援助国および国際機関から総額56億ドルの公的開発援助(ODA)を受け取った。その中の約54%「30億ドル」はソフトローンであり、約46%は援助であった。

同じ期間に、モンゴルの一人当たりのGDPは10倍に増加し、4千米ドルに達していた。従って、モンゴルは低開発国から発展途上国と呼ばれるまで上がった。この段階では、開発向けの巨額のローンを好条件で獲得出来るようになった。

達成された恩恵と学習された教訓

モンゴルはこれまで海外から受け取ったソフトローンの約31%をインフラに、約12%を電力とエネルギー分野に、約11%を銀行や金融部門に費やした。一方発展援助を見ると、人間開発に約15%、緊急援助に約11%、電力とエネルギー分野に約10%、農業分野に約10%、道路や交通機関に約9%が費やされている。

2003年まで海外から取得した貸付の内部流通を外務省、通商産業省やモンゴル銀行などの幾つかの機関が管理していた。ところで、2003年の対外借款法の制定により、財務省は流通過程を管理する役割を担った。それに伴い、全ての貸出書類が政府の登録簿に載せられた。

外国融資や援助の効率性はその国の政府の透明性や政府支出に関する正確な報告によって大きく変わる。

しかし、モンゴル政府は不安定であり、中長期的な開発政策が弱い。更に海外からの資金調達や援助の実施を担当している公務員は定期的に変わりつつある。それはあるプロジェクトが混乱され、また重複され、あるいは政府の政策と整合性なくなる主な原因となっている。

今後は、開発支援や援助プロジェクトの有効性を高め、公共に報告する方法を改善し、鉱山業という一つの分野に大きく関わっているモンゴルの経済を多様化出来るように外国投資を導くことが必要だ。

現在のモンゴル経済が以前と比べて大きく拡大されたにもかかわらず、また外国の融資や援助に依存されている。明確な例をあげると、1991年と2009年にIMFのスタンドバイプログラムが実施されたが、2017年に3回目のスタンドバイプログラムの交渉が行われている。

2016.11.30

翻訳者: バットサイハン オルギル

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