政界のフィクション小説:戦略的鉱山

Jargal Defacto
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STRATEGIC DEPOSITS – A FICTION BY GOVERNMENT

D.ソムヤバザル鉱業・重工業大臣は先週の金曜日に「持続可能な開発となる鉱業」というテーマで全国会議を首都ウランバートルで開催した。その議場、私は鉱業とインフラについてスピーチをした。その内容をここで報告する。

鉱業専門雑誌マイニングジャーナル誌の世界リスク報告書2017年版では、モンゴルのインフラについて「最も発展が弱く、リスクが高い」と評価されている。世界の鉱業企業大手85社に対して3600項目で分析を行い、投資リスクを1~100点で評価し、AAAからDDDの間で格付けした。カナダの5州、アメリカのアラスカ州、スウェーデンは80点以上のAAAで最もリスクが低いと評価された。一方、ラオス、ギニアは40点以下でD、最もリスクが高い。モンゴルは53点でCCCの高リスクとなった。

モンゴルの法的環境は49点、制度64点、社会認可66点、金融環境52点とそれぞれ評価されている。しかし、インフラは11点(鉄道7点、エネルギー保障15点)と評価され、発展が最も弱いと特記されている。これは彼らの評価だが、私たちはどのように評価しているだろうか?

まるでフィクションのようなインフラ 

モンゴルは国土が広く人口密度が低いため、交通網や電力などのインフラ敷設コストが高く、回収期間が長い。これは私たちの力では解決できる要素ではない。私たちの力で解決できる要素としては、正しい政策を実施し、国民が地方でも都市部でも豊かに暮らせる環境を提供することである。政策が的確かつ継続性があれば正しい目的地に辿り着く。

モンゴルは的確な政策を実施していないため、インフラ整備が進んでいない。地方の経済発展が遅れ、過疎化が進んでいる。「1000の道路」プロジェクトだけはビジョンが明確であるため、時間がかかってはいるが継続している。しかし、「戦略的鉱山」というビジョンについて国民は良く理解していない。この言葉を政治家が自分たちに都合よく利用するようになってから、鉱業分野はモンゴルの発展の先頭を走ることができていない。戦略的鉱山の趣旨目的は鉱業を通してインフラ開発を進めることにある。

1997年に初めて採択した鉱物資源法は2006年に改正された。その後、同法は実に250回、平均して2週間に1回の割合で改正されてきた。その中で二つの改正を見てみよう。

1回目はエンフボルド政権時の2007年2月6日、国会の第27号指令において新しい名前や単語が加えられた。鉱物資源法4条1項12に「国土安全、経済、社会開発に影響を及ぼす、或いは年間生産量が国内総生産の5%を超える鉱山を“戦略的意義”をもつ鉱物資源鉱山」と規定した。

2回目は2年後の2009年1月8日、バヤル政権時に国会が同法の5条5項に「国家予算ではなく、企業の資金で探査を行い、埋蔵量が確定された戦略的意義をもつ鉱物資源鉱山の所有者による投資額の34%に相当する株式を国が所有することができる。この所有割合を国からの投資額を考慮して鉱山採掘契約書にて定める。この契約書で規定した国が所有する持株は戦略的意義をもつ鉱物資源鉱山の鉱物資源利用料金で支払うことができる」と改正した。

例えば、ロシアの法律では、外国の企業が発見した鉱山だとしても政府が優先的に所有するとある。しかしモンゴルの政治家は、政府が鉱山の株式を買い、その代金を鉱物資源利用料金から控除させ、さらに配当を得ると「夢みる」ことができた。そして徴収すべき鉱物資源利用料金の半分を取らず、株式配当金をすべての株式取得が完了した後に受け取るようにしたことはいったい誰のためだったのか?

自分たちの希望で鉱物資源利用料金の受け取りを先延ばしたから、政府は外国から借金をするために綺麗な名前を付けた債券を発行した。債券の償還が迫ってくると前より高金利で長期の債権を新しく発行し、負債を負債で返している。モンゴルは負債に次ぐ負債で苦しい生活をするはめになっている。

鉱業生産で豊かになったオーストラリア、カナダなどの国では、政府はどんな種類の鉱山でも株式を所有していない。しかし、国が取るべきお金をきちんと取り、採掘事業を行っているすべての企業の活動を完全に監視し、法律を堅守させている。

投資家は都市を建設するためではなく、利益を得るために来る

社会主義国家では、鉱山に沿って都市・村を作って市民を強制的に定住させることができる。全体主義の国ではすべての物は共有財産であり誰のものでもない。社会インフラを政府が敷設し、採掘費用を企業が負担する。その企業も国有である。この例でエルデネト市が作られた。

市場経済では、民間企業が何をするかを自分たちで決める。モンゴルは資金不足に陥っているため、政府が外国の民間企業に融資を呼び掛けている。

外国の企業が鉱業分野に投資し、鉱物の探査、採掘、精鉱、売却を行い利益を得ようと来ているが、決して都市を建設するために来ているわけではない。

鉱物資源国が鉱山から取るべき料金を最初からちゃんと取る。そのお金で都市を作ろうが村を作ろうが、それはその国の問題である。この時重視すべきことは、何をどのように設置するかを地方の市民と協議した上で決めることである。鉱山に人を強制的に移住させることは難しい。私たちは鉱山から入って来るお金で新しく都市を建設するか、もしくは県・郡を発展させるかを決めるべきである。新しい都市生活はその鉱山によるものではなく、市民の全てのニーズに応えられるサービスがあるべきだ。様々なビジネスが成長できる可能性があるかが重要である。これらすべてが整備できてこそ、採掘が終わり、鉱山が閉鎖した後でもその都市はゴーストタウンとはならない。

戦略的鉱山という言葉ができてから国有企業が増加した。その全てで赤字を出し、国家予算で補填されている。国有企業の赤字が膨らむ一方だからインフラ整備どころではない。逆に学校や病院を建設するための国の予算を吸い取っている。戦略的鉱山は私たちに発展ではなく、負債をもたらすようになっている。モンゴルは国内外からの負債で沈みかけている。

インフラ整備は、債券ではなく年間金利1〜2%の開発銀行の30〜40年長期ローンで作られるものだ。モンゴルの政治家はこのことをよく分かっているが、厳しい監査をもつ銀行のローンより債券発行を安易に選び、そのお金を自分たちの有利になるよう分配している。

政治家自身の会社が参加していなければインフラ整備などの大きなプロジェクトは進まなくなった。これは第5火力発電所の着工に当たって10回の鍬入れ式を行ったことを見ても明らかだ。もし私たちが、オユ・トルゴイ鉱山のために輸入している電力エネルギーを自分たちで作り出せていたならば、今頃は政府の歳入額も増加していたことだろう。

モンゴル政府は「戦略的鉱山」という、フィクションのような考えでどこまで行くのだろうか?

2017年12月13日。

 日本語版制作:Mongol Izumi Garden LLC http//translate.mig.asia

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