共産主義体制は、独裁者を生み出す。独裁者は、国家安全保障という名の下に、国外に敵国をつくり上げ、国内では自分と異なる思想を持つ者や野党勢力の出現を禁じ、党内のライバルを排除する方法で国家権力を手中に収める。そして、国を統治する「理論」を立て、国防という名の下で経済を軍事や戦争のために完全に向けさせ、やがて破綻に至るのだ。そうして国民はますます貧しくなり、飢えて行くのである。もちろん、このような状況を招く独裁者は、国内外の敵であると言える。独裁者は、敵に対して諜報、弾圧、追放、処罰、投獄、殺害を行うことで、あらゆることを鉄の拳による制裁を持って支配する。 また、独裁者の下に政治局や最高司令評議会などの立派な名を冠したエリートの組織が置かれ、彼らの住む住宅街には専門店、病院、学校、療養所などが作られ、彼らの子どもたちは互いに結婚し、特権階級が形成されていく。 独裁者は、自らの特権と安全を確保するために敵を偵察し、処罰するための特殊部隊を創設し拡充させる。このようにして国に恐怖を植え付けることで、独裁者は無法で無制限の主権を有する「王」となり、そして個人崇拝の思想が完全に実現するのである。 独裁体制は、最終的にはクーデターによって排除されることもあるが、往々にして独裁者が死ぬまで続くのもある。独裁者が死ぬと、全国で大げさな嘆きと哀悼の声が上がるが、やがてそれは憎しみに変わり、骨さえも荒れ地に埋葬される。そして、独裁者の子孫は、人々の軽蔑と憤りの中で生きるのである。 多くの国でこのような道を歩んだ歴史がある。例えば、ソ連、中国、モンゴル、ルーマニア、アルバニア、北朝鮮、キューバなどとても長いリストに連なる。このリストは、今後も続くだろう。 エンヴェル・ホッジャ、アルバニア ヨーロッパでの第二次世界大戦が終わり、連合軍はアルバニアから撤退した。1944年5月に反ファシスト民族解放委員会が設立され、アルバニア共産党第一書記エンヴェル・ホッジャが委員長を務めた。6ヶ月後、アルバニア共産党はアルバニア政府を掌握し、1946年にアルバニア人民共和国が設立され、エンヴェル・ホッジャが最高指導者となった。翌年、エンヴェル・ホッジャは、モスクワでスターリンと会談した。この2人が会談した回数は全部で5回である。1951年のスターリンの死により、東ヨーロッパ全土でスターリン主義は終焉を迎えたが、この残忍なイデオロギーが1990年まで維持された国はアルバニアのみである。 ホッジャは、1944年12月に政府高官を務めていた66人を逮捕し、彼らの事件を特別法廷で審議した。戦時下の首相、国会議長、閣僚など、西側諸国に留学し、教育を受けた知識のあるエリートたちは、イタリアの侵略者に奉仕したとして非難された。この裁判の判決は、1945年4月にティラナの国立劇場で行われ、その内容がラジオで放送された。判決は、17人が処刑、残りは20〜30年の懲役、5人が無罪というものだった。処刑される者の中にはホッジャの義理の兄も含まれていた。 ホッジャは、新たに39の刑務所と70の収容所を建設した。また、「戦時特別税」を定め、商人や富裕層に非常に高い税金を課していた。税金を支払わなかった人々は投獄され、ほとんどが収容所で死んでいった。民家や車、その他の固定資産は、国有のものとなった。地主の財産は没収され、協同組合に譲渡された。この過程で、東側で教育を受けた共産主義者たちにより、新しいエリート階層が形成されていった。 またホッジャは、ユーゴスラビアの事例を基に「シグリミ(Sigurimi)」と呼ばれる秘密警察を内務省直轄で設立した。政権体制の安全を維持することを主な任務とするこの組織は、46年間存続し、すべてのアルバニア人の心に恐怖を植え付けた悪名高い組織となった。この組織には20万人の工作員がいた。1990年までに、この組織は100万人以上(1975年のアルバニアの人口は240万人だった)の個人ファイルを作成し、各人の政治的思想、信頼性、家族や愛人、いつ、どこで、誰と会い、何を話しているかについて把握していたという。壁を隔てても聞こえる盗聴器の使用が常態化していた。一部の刑務所では、面積10㎡しかない独房に20人以上が収監されていたという。政治的に信頼できないと見なされた者は、逮捕され、独房に収監されるほか、その家族も強制収容所に送られ、子どもたちは学習の機会を持つことが禁じられていた。また、外国の帝国主義者の突然の攻撃に対する防御という名目で、全国に17万5000の掩蔽壕(えんぺいごう:バンカー)が建設された。 スターリンの死去以降、アルバニアは外界から孤立し、中国共産党のみと関係を強め、特定の貿易を展開していた。1985年にホッジャが死去した時、アルバニアは世界第三位の貧困国となっていた。当時一人当たりのGDPは15ドルだった。 ホッジャは、1960年以降外国を訪問しておらず、政治のエリート層が住むティラナの特別区から一歩も出ていないという。特別区の外では店に何もなく、人々は食糧不足で飢餓状態に陥っていた。しかし、それとは対象的にこの特別区には、西側の食料品や日用品があり、専用の病院もあり、ホッジャの治療のために西側の医師団が訪れていたという。…
第4次産業革命が本格化し、情報通信の発展が一層加速するなか、人類はデジタル移行を遂げつつある。この移行がモンゴルにもたらす変化、可能性、課題について議論するために、2025年9月初め、ウランバートルに国内外の学者、研究者、政府の意思決定者、産業界のメジャーな関係者らが集まった。この「ブルー・スカイ・ダイアログ」では、遊牧文化を有する内陸国であるモンゴルが、デジタルの可能性をいかに活用し、飛躍的に発展できるかについて議論された。 「モンゴル政府の第一目標はデジタル化(digital first)である。デジタル化してこそ政府の活動は効率的で、計測可能になる。2020年以降、政府の1,260のサービスをe-Mongolia、e-Businessといった多様な手段を通じてデジタル化してきた。」とウチラル第一副首相兼経済開発大臣は開会演説で述べた。170万人以上、すなわち人口の半数以上の国民がデジタルで行政サービスを受けており、遠隔の遊牧民と政府役人との関係が煩雑さから解放されている。かつては首都までの長旅を要していたパスポートの申請や事業登録なども、いまやスマートフォンの画面上で数回のタップで完了するようになった。 モンゴルは、スマートフォンから電気自動車に至るまであらゆるものを支える原料となる希土類元素やリチウムの莫大な埋蔵量を有している。デジタル時代の驚くべきパラドックスは、世界に最先端の技術資材を供給する国が、いまやそれらの素材から生まれるイノベーション・エコシステムの重要なプレイヤーとなる可能性を持っていることである。ダムディンニャム鉱業・重工業大臣によれば、「モンゴルの発展の原動力」である鉱業分野に、デジタル移行が最優先で深く浸透する見込みが高いという。 リオ・ティント社の最高イノベーション責任者であるダン・ウォーカー氏は「技術は鉱業を再定義している。」と述べ、「オユ・トルゴイ鉱山は、デジタル技術によって何を変えられるかを示す輝かしい事例となった。」と強調した。この変革は、鉱山現場にとどまらず、モンゴル経済に広く影響を与え、モンゴルが推進しようとしているデジタル・スキルへの需要を生み出している。リオ・ティント社は、ウランバートルにグローバル・テクニカル・センターを設立し、世界中の他の鉱山を支援するためにモンゴルの若者を雇用している。 オーストラリアの砂漠では巨大な無人トラックが走行し、無人列車が人間の介入なく鉱石を積み降ろしている。これら一連の作業を2,000キロメートル離れた場所から遠隔制御するようになっているが、その光景がモンゴルの鉱業分野にも間もなく映し出される時が近づいている。Google社のエンジニアであるバトトルガ氏は、オユ・トルゴイの地下には総延長300キロメートルの坑道があり、あらゆる設備、人間の行動、環境制御システムとデータにより、モンゴルが世界規模で鉱業における技術統合を展開する真のチャンスを生み出していると語った。 Plug and Play Japanの代表は、世界中で数百のスタートアップを育成してきたアクセラレーター・エコシステムの経験を共有した。モンゴルの大手企業は、航空宇宙から新素材に至るまで、幅広い分野で日本のスタートアップとの連携を模索しており、モンゴルの天然資源と日本のイノベーション力の間に新たな架け橋を築いていると述べた。 Microsoft for…
モンゴル人は歴史的に自然を「生命の源泉」として敬い、守ってきた民族である。だが今日、我々は金や石炭、銅などの鉱物資源を採掘することで生活している。我々が乗っている自動車、住んでいる住宅、都市に林立するガラス張りの高層ビル群は、鉱業によって得た資金で築かれたものである。現時点で、私たちモンゴル人には他の選択肢がない。我々は資本が不足しているため、外国から投資を誘致し、鉱物資源を採掘することで外貨を獲得しているのである。 過去30年余りの間に政府は「金プログラム」を二度にわたり実施した。年間20トン近くの金を採掘してきたものの、モンゴルは鉱物資源の輸出に代わるような新しい製品やサービスを生み出すことができていない。天然資源を海外に売り、その収入で経済を多角化すべきだと誰もが口にするが、未だ成功には至っていない。近い将来においても、資源を売って生きるしかない状況である。 一方、とりわけ森林や河川を汚染し、破壊してまで金を採掘するのは賢明な行為ではない。ゆえに2009年に「河川源流域、水源地、森林資源地において鉱物の探査・採掘・利用を禁止する法律」、いわゆる「長い名前の法律」が制定された。しかし、それを完全に実施することはできていない。特定の企業は今もなおこの法律に違反し続けている。 そして今日、政府は「金-3」プログラムを策定した。国会が承認したこの決定に対し、モンゴル大統領は拒否権を行使した。現在、国会の秋期会期においてこの拒否を受け入れるか否かが審議される。このプログラムが実施されれば、国に納入される金の量は年間10トン増加し、約10億ドルを得ると試算されている。 このプログラムには、国家の特別保護区に属する金鉱床が含まれているため、それら地域の境界を変更して特別保護区から除外する条項が盛り込まれている。その一つが、ヘンティ県バトシレー ト郡とビンデル郡にまたがるグタイ峠の102,640ヘクタールの土地である。本来この土地は2020年に国家特別保護区に指定された。モンゴルは1990年代以降、自然の原初的姿を保全する目的で特別保護区のネットワークを築いてきた。これは単なる自然保護ではなく、将来世代の生活環境を守るための賢明な選択であった。 この地域に関して言えば、グタイ峠一帯は27本の川の源流と流域から成り立ち、飲料用の清浄水源となる極めて重要な地域である。ここから流れ出るオノン川はアムール川に合流し、最終的には中国東部を流れていく。この水系を通じ、モンゴル・ロシア・中国合わせて7,500万人以上が淡水を得ているのである。 この地域はまた、永久凍土の分布において重要な地域とされる。モンゴル国の永久凍土面積は過去40年間で5%減少しており、それは地球温暖化と気候変動の直接的結果である。永久凍土を含む生態系で鉱山の重機による掘削を行えば、永久凍土の融解、土壌劣化、生態系システムの完全破壊などのリスクがあると科学者たちは警告している。 さらに、この保護区の93.5%、すなわち96,000ヘクタール以上は森林に覆われている。調査によれば、この森林は毎年510万トンの酸素を放出し、約66万5,000人分の年間酸素需要を満たしている。生物多様性は決して再生できない資源である。ここには22種の哺乳類、260種の植物、28種の魚類、362種の昆虫が記録されており、希少種や絶滅危惧種の揺籃の地でもある。例えば、世界的に希少となったアムールチョウザメがオノン川に生息している。また、イトウ、シベリアヘラジカ、アカシカ、アカゲジカなどの生息地でもある。自然界で一つの種が絶滅するごとに、生態系の内部調和が失われ始め、その影響は数十年後に我々の生活に直接影響する危険がある。 豊富な淡水資源を持つオノン川とその流域、森林の生態系、生物多様性を守り、適切に利用するために、地域住民は自ら積極的に取り組んでいる。自然や歴史的記念物の資源を基盤とした観光開発、地域住民を自然保護活動に巻き込む事業が多数実施されている。地域住民はこの地でエコツーリズムを発展させ、スポーツフィッシングによって持続的な収入を得始めている。これは鉱業による一時的利益よりもはるかに長期的で持続可能な経済的解決策である。 もし今日、財政赤字を埋めるために特別保護区から金を掘り始めれば、明日には他の鉱物資源のために別の保護区を除外し、次々と保護地を破壊する悪しき前例をつくることになる。モンゴルは国土の30%を特別保護区とすることを国際的に約束している。この約束を破れば、モンゴルの国際的評価は失墜し、世界は我々を信用しなくなるだろう。 今日、我々の前には「金か、それとも水か」という選択が突きつけられている。淡水、清浄な空気、森林、希少動物を金銭で代替できるのか。…
今、モンゴル経済で最も敏感な指標はインフレであり、簡単に言えば国民の日常的な消費の価格が絶えず上昇している水準のことである。2025年7月時点でインフレ率は8%に達し、中央銀行が目標としている6%を上回り、世帯の購買力に圧力を与え続けている。 今日のインフレに大きく影響した要因は三つある。第一に、食料価格の上昇である。肉、小麦粉、野菜の価格は季節的に変動し、消費者物価のバスケットに大きな負担を与えている。第二に、家賃、電気、燃料価格が上昇し、住宅関連費用が増大している。第三に、モンゴルの消費財の多くは輸入依存であるため、海外市場の変動やトゥグルグ為替レートの変化が直接影響を与えている。 2022年にはインフレ率が15%に達し、近年のピークを記録したが、2024年には5%まで低下した。しかし今年は再び上昇し、8%となった。他国と比較すると、カザフスタンは7%、ジョージアは6%、エストニアは5%であり、モンゴルの数値がやや高いことがわかる。 このような状況下で、中央銀行は政策金利を高水準の12%に維持し、マネーサプライを制限している。しかし中央銀行は真に独立することができず、政治的圧力や政府の短期的な利害に強く縛られているため、インフレを安定化させる力を弱めている。モンゴルでは金融政策が財政支出の拡大や選挙前の政治決定に直結していることが最大の弱点である。 政府もまた、暖房光熱の価格を一気に大幅に引き上げることは避けているが、実際にはこの分野で長年先送りされてきた改革が蓄積した圧力を生んでいる。価格上昇を「補助金」で一時的に抑えているが、最終的には財政赤字を拡大させ、インフレをさらに刺激する要因となっている。 モンゴル政府の対外債務は依然として大きく、国際市場での融資金利が高水準にあることが財政に極めて大きな負担となっている。対外債務の利払いのためにドル需要が増大し、トゥグルグの為替レートに下押し圧力を与える。これが輸入品の価格を押し上げ、最終的には再びインフレを煽る。政府は債務返済のために新たな国債を発行したり、海外から融資を呼び込み短期的にしのいでいるが、これは長期的な安定した解決策ではない。 もし政府が国内債券を発行すれば、プラスとマイナスの効果が併存する。プラス面としては、対外債務の高金利を回避し、為替の圧力を緩和できる。また国内の金融市場を発展させ、投資家に安定的なリターンをもたらす手段を作ることができる。マイナス面としては、国債の過剰発行は銀行融資を圧迫し、民間投資を減少させる。高金利債を発行すれば、市場全体の貸出金利をさらに押し上げ、家庭や企業への負担を増加させる。したがって、国内債の発行は適切な水準で規律を持って行うことが重要である。 モンゴルでインフレを季節的に急上昇させる主な要因は、食料価格、特に肉と小麦粉の価格変動である。したがって、食料システムを単に備蓄の形成だけでなく、備蓄–物流–卸売市場–品質管理を含む包括的な仕組みとして改善する必要がある。肉や小麦粉の戦略的備蓄、冷蔵倉庫、輸送インフラ、透明な卸売取引所の運営、食品安全基準などは供給の安定を保証し、インフレ圧力を緩和するうえで重要である。 モンゴルのインフレの基盤的圧力を減らすもう一つの道は競争政策である。これは少数企業の支配を弱め、価格カルテルを断ち切り、透明性を確保し、中小企業の参入を支援することを意味する。燃料、食肉の卸売、スーパーマーケットチェーンでは意図的な価格上昇が生じており、消費者に直接的な負担を与えている。競争環境を実質的に改善すれば、消費者に多様な選択肢が生まれ、価格安定に重要な効果をもたらす。 結論 短期的には為替変動を安定させ、燃料備蓄を適切に管理することが価格安定に重要である。しかし中期的にはよりシステム的な改革が必要である。すなわち、財政支出を高収入期に過剰に拡大しないこと、外貨準備を増やすこと、食料システムと競争政策といった長期的改革を進めることが必要である。これらを同時に実行できれば、インフレを目標範囲に段階的に抑えることが可能である。 最後に、インフレとは経済の「火」である。この火を消すためには、金融政策を引き締め、財政規律、食料システム、競争政策という四つのパッケージを同時に実施する必要がある。しかし最も重要なのは、政策を実施する機関が政治から独立し、専門的水準で意思決定を行えるようにすることである。さもなければインフレの火を消すどころか、むしろ煽るリスクが残り続けるということである。■
モンゴル国立フィルハーモニーのコンサートホールにおいて、馬頭琴オーケストラによる「モンゴル音楽」シリーズ公演が行われ、有名作曲家および新進作曲家の作品が披露され、観客を楽しませた。 年々規模を拡大している馬頭琴オーケストラは、マエストロD.トゥブシンサイハンの巧みな指揮の下、作曲家E.ドルジスレン、ツェン.エルデネバト、Kh.アルタンゲレル、Sh.オルジバヤル、N.ジャンツァンノロブらの優れた作品を蘇らせ、馬頭琴とモンゴル管弦楽の魅力を国内外の観客に存分に感じさせる素晴らしい夜となった。 プログラムには、Kh.アルタンゲレル作曲「天空の輪」、Sh.オルジバヤル作曲「天界」、N.ジャンツァンノロブ作曲「シンフォニエッタ」、E.ドルジスレン作曲「モンゴルの空間」組曲、ツェン.エルデネバト作曲「大いなる大地」など、馬頭琴オーケストラのための協奏曲が含まれていた。各作品は署名のようにそれぞれ独自の要素を持ち、豊かなテーマ、色彩、思想を備え、モンゴルの民族音楽と世界の古典交響楽の伝統や様式を精巧に調和させ、馬頭琴のこの上もない響きによって満場の観客の心を動かした。 いくつかの作品は、世界的に有名な偉大なクラシック作曲家のライトモチーフやリズム様式を引用し、西洋音楽文化をモンゴル作曲家・指揮者・演奏家の伝統と感性を通して、アジアとヨーロッパの境界を見事に交差させ、多彩かつ極めて独創的な響きを作り出していた。自然現象や両親の恩徳を讃える旋律が響くとき、モンゴル人の心は晴れやかになり、常に前向きに導く音色を聴くことの素晴らしさがあった。また、現代の映画音楽にも適合し得る動きや、冒険、戦闘、抒情、喜悦などの想像力をかき立て、心を震わせる見事な作品も聴かれた。 N.ジャンツァンノロブ作曲「シンフォニエッタ」は、モンゴルの現代の仕事と生活のリズム、変化と変革を繊細に感じ取り、熟考した、強い印象を残す傑作であった。作品には打楽器の鋭く力強い部分が多く、その音が会場に響くたびに観客である我々は思わず身を正して座り直すほどであった。演奏の終わりには、ホールがしばしの間静まり返った後、何が起きたのかと驚嘆するかのように拍手が起こった。クラシック音楽の歴史においても、偉大な作曲家の作品でこのような瞬間が訪れることは後に記録されている。 作曲者は、シンフォニエッタは成長し変化を続ける馬頭琴オーケストラの構成に合わせて書かれたと語っていた。この作品は時計の針の動きのようなテンポを持ち、現代モンゴル社会の変化する姿を見事に映し出した、深い意味を持つ代表的な傑作であった。 馬頭琴アンサンブルは1992年に20人の演奏家の編成で初めて結成された。今日では50人を超える演奏家を擁し、室内オーケストラの規模に達したことから、その名称を「馬頭琴オーケストラ」と改めた。モンゴルのクラシック音楽界の第三、第四、第五世代の作曲家たちは、国内にとどまらず世界レベルに達する才能を示し、この素晴らしい貴重なオーケストラを通して国際的な観客に継続して作品を届けていることは誇らしいことである。 したがって、比類なき二弦楽器である馬頭琴をはじめ、モンゴルの他の楽器を奏でる演奏家たち、国立フィルハーモニー、他のジャンルの音楽家たちのために、音響が優れ、最新設備を設計段階から考慮して備え、どの国のオーケストラでも訪れて共演や録音が可能な、世界水準のホールや施設を整える時が来たのである。アメリカ・デンバー市にあるデンバー芸術センターのボエッチャー・コンサートホールの現代的なホールを手本とすることもできるであろう。 2025年7月18日■
モンゴルのセメント製造業界では、経済的な驚くべきパラドックス(矛盾)が生じている。それは、2025年5月2日にウランバートル市でモンゴルのセメント製造業者協会が初めて開催した「セメント・エキスポ2025」のイベント中に明確に見ることができた。すなわち、現在モンゴルにはセメント工場が7つあり、年間合計で450万トンのセメントを生産する能力があるにもかかわらず、2024年の総需要は230万トン、そのうち25万トンは輸入品、しかも品質に疑問があるセメントでまかなわれていたのである。 さらに、需要を上回る生産能力を持ちながら、新たにセメント工場の建設許可を得ようとする公式の発言もあった。これは、現在の市場を理解していないのか、それとも複数のメガプロジェクトに政府と「協力」しようとしているのか。常識的な論理では納得できない出来事が、この業界でも起き続けている。 業界の分裂 モンゴルの7つのセメント工場は、2024年に合計で220万トンのセメントを供給した。これは前年と比べて12%の増加である。もし生産能力をフル活用して230万トンを追加で生産できていたならば、何千戸もの住宅、何千キロメートルもの道路を建設することが可能だったはずである。それにもかかわらず、同年の総需要の12%を輸入に依存していた。 この矛盾の第一の理由は、中国製セメントの価格がモンゴル国内製の半額であることにある。中国のセメント生産量は年間20億トン、これは世界市場の50%にあたる。これは経済規模によるスケールメリットである。外貨で購入し、鉄道で輸送しても、関税がなければ国内製品より常に安い。地域によっては輸送距離の違いから中国製品の輸入のほうが有利であり、また都市部では国内セメントの貯蔵施設が不足していることも影響を与えている。 第二の理由は、モンゴルの電力供給が安定せず、輸入依存状態にあることである。ロシアの電力網に依存しているホブド県のセメント工場では、2024年に計画外で160時間の停電が発生し、設備の故障・損傷により生産コストが著しく上昇したと、ウェスタン・ホールド社の財務部長N.ハヤンヒャルワー氏が語っている。この業界では、電力価格の急騰と供給の不安定さが相まって、国内セメントの原価が急騰している。 第三の理由は品質の問題である。中国製の輸入セメントは、価格が安いが国際基準より多くのフライアッシュ(灰)を含み、製造日も不明瞭に表示されている。セメントは時間とともに劣化し、6か月以上適切に保管されなかった場合、強度が40%失われるという。しかも、モンゴルの国境には現在セメントの品質を検査するラボが存在しない。国際基準に準拠する国内メーカーは、ダンピング価格で販売される輸入セメントによって不公平な競争環境に追いやられている。 第四の問題は、道路の重量制限である。重量物を運搬する道路に新たな基準を導入したことにより、遠隔地から原料を輸送するコストが3倍に跳ね上がっている。道路建設の際に重量に対応した設計がされておらず、軽量道路ですら質を確保した施工がなされなかったため、破損や事故が頻発している。加えて、定期的な保守や修理がされていないにもかかわらず、突然このような要件が課されたことで、建材メーカーに大きな打撃を与え、コスト上昇から価格にも影響が及んでいる。 そして最後に、2026年からは建材製造に新規許可を出さないと建設・都市開発省の事務次官S.トムルフー氏が発表したことから、誰でも工場を建てられるが、政府と近い関係を持ち、大型プロジェクトを取得できる者だけが生き残り、その他は倒産するという構図が見えてきた。本来であれば、現在の能力の少なくとも70%を活用した後で、初めて新たな工場を建設するのが適切であるはずだ。 解決策 モンゴルは中国と経済規模で競争できないことを認め、建設の柱であるセメントの製造に特化した戦略的保護を実施する必要がある。 新たな工場を建設する代わりに、あらゆる資源を活用して現在ある工場の能力を最大限に活かす努力をし、設備を更新し、省エネ性能を高め、最新の品質管理システムを導入し、輸送・ロジスティクスのインフラを整備し、モンゴルの気候に適した特殊なセメント配合の研究開発に力を入れることが望ましい。…
ポーランド人は非常に忍耐強く、才能にあふれ、産業と文化において豊かな伝統を有する民族である。今日のポーランドは、ヨーロッパで最も急速に発展している国のひとつである。歴史上の困難や多くの試練を乗り越えたポーランド人は、科学や文化芸術の偉大な成果によって世界的に知られている。ポーランドの最初の首都クラクフをはじめ、ヴロツワフやワルシャワの各都市を訪れ、美術館、歴史的記念地、古い教会や城を巡り、産業部門では石炭、食品、製薬業といった分野を視察した。また、モンゴルとポーランドの両国民が歴史的出来事や多くの事業によって結ばれてきたことを研究し、多くの人々と出会い、その記録を読者の皆さんと共有するものである。 ポーランドの略史 ポーランドの歴史はその国民の忍耐と我慢の真の表れである。966年、ミェシュコ1世が統一ポーランド国家を樹立した。1386年から1572年にかけてのヤギェウォ王朝の時代には、現在のポーランド、リトアニア、チェコ、ハンガリーの領域にまたがり、ヨーロッパで最も強力な国の一つとなった。1569年から1795年にかけて存在したポーランド・リトアニア共和国(コモンウェルス)の時代は、民主主義と文化発展の黄金時代とされている。だが、ロシア、プロイセン、オーストリアの三国により、1772年、1793年、1795年の三度にわたり分割され、ポーランドは123年間独立国家として存在しなかった。1918年にポーランドは独立を回復し、すぐに第二次世界大戦や共産主義思想による抑圧などの歴史的試練に直面し、それを乗り越えてきた。 現在のポーランドは中央ヨーロッパに位置し、ドイツ、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、ロシア、そしてバルト海に囲まれている。総面積は313,000平方キロメートルで、ヨーロッパで9番目に大きく、モンゴルの5分の1程度の大きさである。地理的には広大な平原と丘陵が広がり、南部にはカルパチア山脈とズデーテ山脈がある。人口は約3,800万人で、EU内で5位の規模である。首都ワルシャワは人口200万人を擁し、政治・経済・文化の中心である。ほかにも、クラクフ、グダニスク、ヴロツワフ、ポズナンなど、豊かな歴史と文化を継承した近代的で高度に発展した都市が存在する。 ポーランドの歴史におけるもう一つの重要な出来事は、1944年のワルシャワ蜂起である。ポーランドのレジスタンス運動である「蜂起軍」は、ナチス・ドイツの占領軍に対して63日間にわたり戦った。ドイツ軍はこれを武力で鎮圧し、ワルシャワ市の85%を爆破し、街は灰燼に帰した。敗北に終わったものの、この蜂起はポーランド人の自由と民族の団結の象徴として記憶されている。1980年代には、レフ・ワレサの指導のもと「連帯(Solidarność)」運動が展開され、民主主義のための闘争が始まり、10年後には共産主義体制が崩壊するに至った。 現在の民主的ポーランドは、経済規模8100億ドル、一人当たりGDPは24,000ドルに達し、EUでもっとも急速に発展している国となっている。 科学と芸術 世界の科学と芸術において、ポーランド人は大きな貢献を果たしてきた。ポーランドの18人の学者が合計19のノーベル賞を受賞している。マリア・スクウォドフスカ=キュリーは、1903年に物理学賞、1911年に化学賞を受賞し、2度のノーベル賞を受賞した。ポーランド出身のユダヤ人を含めれば、ノーベル賞受賞者の数はさらに増加する。世界的に有名な2人の偉人を紹介すると、以下のとおりである。 “ニコラウス・コペルニクス” 「地球を動かした男」と呼ばれるコペルニクスは、人類の世界観を変え、地球が太陽の周りを回っていることを証明した。1543年に太陽中心説を出版し、科学に革命をもたらした。彼を記念する多くの像の一つは、クラクフのヤギェウォ大学の広場にある。モンゴルの首都ウランバートルにある科学アカデミー前にもコペルニクスの像が建てられている。 “フレデリック・ショパン” 「ピアノの詩人」と称されるフレデリック・ショパンは、ポーランド芸術文化の象徴である。1810年に生まれた彼は、ポーランド民謡に基づくロマン主義音楽の美しい旋律を創作し、世界各地で演奏されている。ショパンはフランスで暮らしていたが、遺言により心臓が祖国に持ち帰られ、ワルシャワの聖十字教会の壁に安置された。彼の銅像や名前を冠した通りは、ウランバートル市のザイサン地区にもある。…
アラブ首長国連邦(UAE)は、かつては砂漠の中の小さく貧しい首長国だったが、わずか30年ほどで世界経済の中枢の一角ともいえる強国へと発展を遂げた国である。この国を実際に訪れて学ぶ機会があったため、UAEの特徴、歴史、政治体制、経済政策、モンゴルとの関係、そしてモンゴルがUAEの発展モデルから何を学べるかについて述べようと思う。 地理と経済 UAEは中東に位置し、サウジアラビアとオマーンと国境を接している。国土面積は約83,600㎢で、モンゴルのスフバートル県とほぼ同じ大きさである。人口は約1,000万人で、そのうちわずか10%が先住民族エミラティ人で、残り90%は外国人である。 UAEは世界で最も裕福な国の一つであり、その経済は石油、貿易、不動産、観光、金融から成り立っている。GDPは約5,450億ドル(世界銀行、2024年)で、一人当たりでは約5万ドル、中東ではトルコ、サウジアラビア、イスラエルに次ぐ水準である。 1971年にアブダビ、ドバイ、シャールジャ、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラ、ラアス・アル=ハイマという7つの首長国が連合してUAEが設立された。連邦最高評議会は憲法上の国家最高機関であり、立法・行政の両権限を有する。 大統領は伝統的にアブダビの首長が務め、ドバイの首長が首相兼副大統領となっている。現在の大統領はシェイク・ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン、副大統領兼首相はシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームである。 外国人労働者の高比率に対応する制度 急速に経済成長する一方で、人口が少ないためUAEは外国人労働者の受け入れが不可欠である。2024年時点で、インド人470万人、パキスタン人200万人、バングラデシュ人100万人、フィリピン人86万人をはじめ、200以上の国籍を持つ900万人が働いている。 エミラティ人は医療・教育サービスを無料で受けられるが、外国人は民間セクターに依存し、教育・医療は高額となるため、単身出稼ぎ労働者が多く、母国へ送金している。外国人は労働許可を取得・更新する必要があり、特定の投資額や専門人材であれば「ゴールデンビザ」による長期滞在も可能である。無許可就労は禁止されており、期限切れの場合は1日30ドルの罰金が科されるなど、厳格な制度が整備されている。 経済の急成長 かつては小規模で貧しい村落が点在し、真珠養殖、漁業、ナツメヤシ栽培、ラクダ飼育、交易に頼っていたこの地域に、1950年代に石油が発見された。その後インフラ整備が進み、急速な成長が始まった。 1971年にイギリスから独立し、7首長国が統合、シェイク・ザイード・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーンの指導の下で国家運営が始まった。1981年には湾岸協力会議(GCC)に加盟し、地域の安定と協力に寄与してきた。1990年代以降、観光、貿易、金融の分野に注力し、ドバイはその発展の象徴的存在となっている。…
バーレーン王国を訪問する機会を活かし、この国の地理、経済、人口の特徴、短期間でどのように急成長を遂げたか、またモンゴルとの協力の可能性について紹介しようと思う。 1. 地理、経済、統治体制 バーレーン王国は、ペルシャ湾に位置する小国でありながら、戦略的に重要な場所にあり、33の島々から成り立っている。国土面積は787㎢で、モンゴルのオルホン県と同程度の大きさである。総人口は約150万人で、その55%は外国人であり、主にインドやパキスタンからの移民が占める。 「湾岸のシンガポール」とも呼ばれるバーレーンは、開かれた経済とビジネスのしやすさで有名である。国土面積はシンガポールとほぼ同じであり、両国共に世界的な金融・貿易の中心地である。しかし、経済規模ではバーレーンのGDPは約500億ドルと、シンガポールの約10分の1であり、一人当たりのGDPもシンガポールの3分の1(約28,000ドル)である。バーレーンでは外国人労働者の割合がシンガポールよりも高く、労働力の多くを海外から受け入れている。 バーレーンの経済は多様化しており、石油・天然ガスが経済の18%を占めているものの、これは近隣諸国と比べて低い割合である。金融サービスが17%を占め、イスラム銀行や投資分野で湾岸地域の主要なハブとなっている。製造業は14%を占め、アルミニウムの生産では世界市場の11%を供給している。観光や貿易も発展しており、年間1,100万人以上の観光客を迎えている。 バーレーンでは、自国民と外国人に対して異なる政策が適用されている。例えば、公営住宅プログラムでは、40,000戸以上の住宅が建設され、バーレーン国民には無料で提供されている。一方、外国人は市場価格で住宅を購入または賃貸する必要がある。バーレーン国民は医療や教育サービスを無料で受けられ、食料や燃料の補助金もあり、湾岸地域で最も発展した社会福祉制度を持つ国の一つである。 バーレーンは立憲君主制であり、議会は「国民議会(National Assembly)」と呼ばれ、二院制を採用している。諮問評議会(Shura Council)は40人の議員で構成され、国王に直接任命される。代議院(Council of Representatives/Majlis…
Sign in to your account