女性に対する暴力
モンゴルではジェンダーに基づく暴力の実態、暴力の根本的な原因、政府が実施している対策とその効果について再度議論する必要がある。なぜなら、モンゴルでは女性の2人に1人が暴力を受けているからだ。 暴力 国家統計局と国連人口基金による共同調査の結果では、モンゴルの女性の2人に1人、人数にして50万人が人生のある時点で最も身近な人(家族、親戚、交際相手)から暴力を受けたとされている。また、女性の3分の1にあたる29万人が身近な人から性的もしくは身体的暴力を受けたという。 また、女性の40%は身近な人から束縛や精神的DVを、17%が他人からの暴力を、女性の5人に1人が経済的DVを受けている。そして、女性の10人に1人は、15歳になる前に性的暴力を受けており、その多くは家族によるものである。 少女や女性は、家庭、学校、職場、公共の場、インターネットで暴力、脅迫にさらされており、これらが彼女たちの健康、自信、幸福に悪影響を及ぼしている。2023年上半期では、家庭内暴力による死亡者数は前年同期比で20%増加している(警察庁発表)。女性に対する暴力は、人権と健康の問題だけでなく、国家、社会、経済、さらには国の発展の問題となっていることを示している。 なぜなのか? 最近発表されたジェンダーに基づく暴力調査の詳細分析を見ると、男性の暴力行為の主な社会的要因は、低学歴、失業、貧困であり、行動的要因はアルコールの過剰摂取である。また、男性同士の殴り合い、不倫関係にある相手、身近な人やパートナーに対する暴力でも一つの行動的要因となっている。 貧困は、ストレス、圧力を増大させ、家庭内暴力につながる危険要因となっている。分析によると、2人またはそれ以上の子どもを持つ女性は、より暴力を受ける傾向にあることが示されている。しかし、これは富裕層や中間層の家庭に暴力がないということではない。女性は幼少期に暴力を受けたこと、暴力を目撃したこと、母親が暴力を受けているのを目撃したことなどの社会的背景が、成人期における暴力の危険要因となっている。したがって、女性は裕福であっても、貧困であっても、暴力にさらされている可能性があるということだ。 暴力の根本的な原因 50万人の女性が経験している暴力の根本的な原因は、ジェンダーに対する否定的で固定的な曖昧な認識と、ジェンダー不平等や社会に確立された有害な規範である。モンゴル人女性は、男性の2.6倍の時間を無給の家事や介護労働に費やしているが、意思決定への参加は依然として不十分である。ジェンダー不平等は、女性に経済的、社会的脆弱性をもたらすだけでなく、暴力にもさらしている。 モンゴルでは人口の大多数がソーシャルネットワークを広く利用している。したがって、オンラインでの暴力件数は増加傾向にある。少女や女性は、家庭、学校、職場、公共の場、さらにはオンライン上でも、もはや安全な場所を確保できない状況となっている。 では、今どうするべきか?…
鉄の拳の下で
共産主義体制は、独裁者を生み出す。独裁者は、国家安全保障という名の下に、国外に敵国をつくり上げ、国内では自分と異なる思想を持つ者や野党勢力の出現を禁じ、党内のライバルを排除する方法で国家権力を手中に収める。そして、国を統治する「理論」を立て、国防という名の下で経済を軍事や戦争のために完全に向けさせ、やがて破綻に至るのだ。そうして国民はますます貧しくなり、飢えて行くのである。もちろん、このような状況を招く独裁者は、国内外の敵であると言える。独裁者は、敵に対して諜報、弾圧、追放、処罰、投獄、殺害を行うことで、あらゆることを鉄の拳による制裁を持って支配する。 また、独裁者の下に政治局や最高司令評議会などの立派な名を冠したエリートの組織が置かれ、彼らの住む住宅街には専門店、病院、学校、療養所などが作られ、彼らの子どもたちは互いに結婚し、特権階級が形成されていく。 独裁者は、自らの特権と安全を確保するために敵を偵察し、処罰するための特殊部隊を創設し拡充させる。このようにして国に恐怖を植え付けることで、独裁者は無法で無制限の主権を有する「王」となり、そして個人崇拝の思想が完全に実現するのである。 独裁体制は、最終的にはクーデターによって排除されることもあるが、往々にして独裁者が死ぬまで続くのもある。独裁者が死ぬと、全国で大げさな嘆きと哀悼の声が上がるが、やがてそれは憎しみに変わり、骨さえも荒れ地に埋葬される。そして、独裁者の子孫は、人々の軽蔑と憤りの中で生きるのである。 多くの国でこのような道を歩んだ歴史がある。例えば、ソ連、中国、モンゴル、ルーマニア、アルバニア、北朝鮮、キューバなどとても長いリストに連なる。このリストは、今後も続くだろう。 エンヴェル・ホッジャ、アルバニア ヨーロッパでの第二次世界大戦が終わり、連合軍はアルバニアから撤退した。1944年5月に反ファシスト民族解放委員会が設立され、アルバニア共産党第一書記エンヴェル・ホッジャが委員長を務めた。6ヶ月後、アルバニア共産党はアルバニア政府を掌握し、1946年にアルバニア人民共和国が設立され、エンヴェル・ホッジャが最高指導者となった。翌年、エンヴェル・ホッジャは、モスクワでスターリンと会談した。この2人が会談した回数は全部で5回である。1951年のスターリンの死により、東ヨーロッパ全土でスターリン主義は終焉を迎えたが、この残忍なイデオロギーが1990年まで維持された国はアルバニアのみである。 ホッジャは、1944年12月に政府高官を務めていた66人を逮捕し、彼らの事件を特別法廷で審議した。戦時下の首相、国会議長、閣僚など、西側諸国に留学し、教育を受けた知識のあるエリートたちは、イタリアの侵略者に奉仕したとして非難された。この裁判の判決は、1945年4月にティラナの国立劇場で行われ、その内容がラジオで放送された。判決は、17人が処刑、残りは20〜30年の懲役、5人が無罪というものだった。処刑される者の中にはホッジャの義理の兄も含まれていた。 ホッジャは、新たに39の刑務所と70の収容所を建設した。また、「戦時特別税」を定め、商人や富裕層に非常に高い税金を課していた。税金を支払わなかった人々は投獄され、ほとんどが収容所で死んでいった。民家や車、その他の固定資産は、国有のものとなった。地主の財産は没収され、協同組合に譲渡された。この過程で、東側で教育を受けた共産主義者たちにより、新しいエリート階層が形成されていった。 またホッジャは、ユーゴスラビアの事例を基に「シグリミ(Sigurimi)」と呼ばれる秘密警察を内務省直轄で設立した。政権体制の安全を維持することを主な任務とするこの組織は、46年間存続し、すべてのアルバニア人の心に恐怖を植え付けた悪名高い組織となった。この組織には20万人の工作員がいた。1990年までに、この組織は100万人以上(1975年のアルバニアの人口は240万人だった)の個人ファイルを作成し、各人の政治的思想、信頼性、家族や愛人、いつ、どこで、誰と会い、何を話しているかについて把握していたという。壁を隔てても聞こえる盗聴器の使用が常態化していた。一部の刑務所では、面積10㎡しかない独房に20人以上が収監されていたという。政治的に信頼できないと見なされた者は、逮捕され、独房に収監されるほか、その家族も強制収容所に送られ、子どもたちは学習の機会を持つことが禁じられていた。また、外国の帝国主義者の突然の攻撃に対する防御という名目で、全国に17万5000の掩蔽壕(えんぺいごう:バンカー)が建設された。 スターリンの死去以降、アルバニアは外界から孤立し、中国共産党のみと関係を強め、特定の貿易を展開していた。1985年にホッジャが死去した時、アルバニアは世界第三位の貧困国となっていた。当時一人当たりのGDPは15ドルだった。 ホッジャは、1960年以降外国を訪問しておらず、政治のエリート層が住むティラナの特別区から一歩も出ていないという。特別区の外では店に何もなく、人々は食糧不足で飢餓状態に陥っていた。しかし、それとは対象的にこの特別区には、西側の食料品や日用品があり、専用の病院もあり、ホッジャの治療のために西側の医師団が訪れていたという。…
デファクトレビュー (2018.05.20)
DEFACTO REVIEW (2018.05.20) 独占による危機 先週は航空・鉄道輸送に関する2つの出来事があった。1つは、韓国のウェブや新聞に「今日まで19年間ウランバートル‐ソウル間でMIATモンゴル航空と大韓航空が特別価格を設定し運航してきた」と言う報道が流れた。ソウル‐ウランバートル線とソウル‐香港線の所要時間は共に3時間10分、そして同じ量の燃料を消費する。しかしチケット代は、ピーク時で3倍、普段は2倍も高い価格に設定されている。これを見直すべきだと記載されていた。 この航空独占問題に関してはモンゴルでも度々話題に上がったが、どうにもならなかった。韓国で報道されたところでどうにかなるものでもない。価格が市場ではなく政府によって決められ、民間航空に対する税金も引き上げられ倒産に追い込まれた。しかし、MIATモンゴル航空は国の予算で「養われている」から、赤字であっても倒産することはない。特に市場を独占する国営企業はどんな時でも大きくなり、価格を調整して維持できる。 自由市場における独占とは、市場の過半数以上を1社もしくはグループ企業がシェアしていることをいう。 独占は、人々の需要に対する供給に関係なく価格を高く維持できるので、市場にとって良くない。価格競争で他のライバル企業が倒産した後に、1社で価格を引き上げてしまう。だから自由市場において独占に反対する声が多い。モンゴルでは航空や鉄道、電力、公共交通、エネルギー分野で独占がある。正当な独占とは、供給者が1社しかない時のみである。例えば、モンゴルの場合は電力供給者は1社しかない。 政府が独占について容認してきたことに対して、市場を開放して他社を参入させる他に選択肢がないと言われている。担当大臣及び首相は、航空市場の開放やウランバートル‐ソウル線、ウランバートル‐北京線の路線開放を春期国会で決めると話していた。これはモンゴルだけではなく、韓国の消費者も要求している。実現すればもちろん消費者にとっても有意義なことである。MIATモンゴル航空が赤字か黒字かは二の次である。 また、ダルハン第一駅で中国‐ロシア線の貨物列車が脱線する事故があった。事故の原因は枕木の腐食である。この脱線事故は数本の枕木が腐食していたという問題ではない。大問題である。これは、ウランバートル鉄道公社の上級職員の腐敗、ロシア・モンゴル両国の内閣のマネジメント能力が低下していることが原因である。鉄道事業の開放を図らない限り、両国内閣の適切な対応を待っているだけでは問題解決にはならない。 穀物を積んだ7、8台の車両が脱線した。もしこれが客車だったらどうするか?誰が乗客の安全を保障できるのか。貨物列車による輸送能力は年間2400万トンだ。2014年に初めてこの2400万トンに達したことがある。この輸送能力を増やす話が出ている。しかし、その前に2014年9月に何が起きたかを思い出す必要がある。モンゴル側から元道路輸送大臣A.ガンスフ、ロシア側からは株主代理人ウラジミールヤクニンの2人がウランバートル鉄道の改革、開発戦略協力について協議し署名した。当時は、プーチン大統領とモンゴル前大統領Ts.エルベグドルジが同席していた。この協議では既存の鉄道線の貨物輸送能力を年間1億トンにする。また、ウランバートル鉄道の電化を進め、サルヒト、エルデネトの鉄道線を北西に延伸してトゥヴァ共和国の首都クズルと繋ぎ、ロシアの鉱山製品をモンゴル経由で中国に運ぶ新しい路線を作る。モンゴルを経由する鉄道輸送量を増やすために、ボグドハーン新鉄道建設に協力することで合意していた。この合意は2014年に成立したが、今は既に2018年になっている。このまま合意事項が全く履行されない場合、誰が責任を負うのか。 公正競争・消費者保護庁は政府機関だから口を閉ざしたままだ。鉄道という大きな事業に関しては政府を恐れて何も言わないようだ。本来、政府というものは国民の下僕であるべきだ。国民のボスではない。…
ローマ教皇のモンゴル訪問と成果
モンゴルのフレルスフ大統領の招待により、2023年9月1日から4日の期間でバチカン市国および全世界のカトリック教徒の精神的指導者である教皇フランシスコがモンゴルを訪問した。教皇を乗せた特別機は8月31日にローマを出発し、モンゴルのチンギス・ハーン国際空港に9月1日到着した。 教皇の訪問に70人以上の国際ジャーナリストが選ばれ、教皇を乗せた特別機に同乗した。私は、この歴史的な訪問に最初から最後まで参加する機会を得たため、ここで教皇の訪問の内容を読者の皆さんに紹介しようと思う。 モンゴルへ向かう 飛行機が離陸した後、教皇フランシスコは記者団が乗っている客室に来られ、全員と握手し、挨拶し、個人的な質問に答えながら両側の通路をぐるりと一周し、全員の前で立ち止まってこのように語った。 「私は心の底からこれを言いたい。モンゴルに行くということは、人の少ない広大な土地に行くということです。そう、モンゴルは果てしなく広く、人口は少ないのです。私たちはモンゴルの静かな草原と平和を理解する必要があります。それは考えるより感じる方が理解できるかもしれません。モンゴルの広大な草原を表現したボロディンの曲を、もう一度聴きたくなりました」。ロシア帝国の作曲家アレクサンドル・ボロディンが作曲した交響詩『中央アジアの草原にて』1880年。 教皇のその言葉を裏付けるかのように、モンゴルの広大な平原は緑と青空で教皇の一行を出迎えた。モンゴルは、国家儀仗隊と政府高官とともに教皇を出迎えた。 古代の歴史に思いを馳せて 教皇は人々に向けて、「ちょうど777年前の1246年8月末から9月初めにかけて、司祭ヨハネ・プラノ・カルピニは、モンゴル帝国第3代皇帝グユクのもとを訪れ、教皇インノケンティウス4世の手紙を手渡した。その後、モンゴル縦文字で書かれ、モンゴル帝国の皇帝の印章が添えられ、多くの言語に翻訳された返信の手紙がバチカン図書館に保管されています。本日、私は敬意を持って、高度な技術を用いて最高の品質で複製されたこの手紙の複写をあなたに手渡します。この贈り物が私たちの古くからの友情の象徴となり、それが今拡大し、新たに発展しますように。」と強調した。 今日のモンゴルについて 「今日、モンゴルは多くの国と外交関係を持ち、国連の積極的な加盟国であり、人権の尊重と平和構築への取り組みにおいてアジア大陸だけでなく、国際舞台で重要な役割を果たしています。私はここで、モンゴルが核兵器不拡散政策を採用し、非核兵器国であることを世界中に宣言しているという英断を強調したいと思います。モンゴルは平和外交政策を持っており、民主主義国家であるだけでなく、世界平和に貢献する使命を持っている国でもあります。さらに、モンゴルは司法制度から死刑を廃止したことがとても重要な一歩です。」 世界に向けて 「モンゴルの伝統的なシャーマニズムの包括的なビジョンと、すべての生き物を慈悲する仏教の哲学は、世界を愛し、保護するという先延ばしにできない重要な任務において、大きく貢献することができます。…
大きな期待が寄せられたモンゴル経済フォーラム
海外の投資家と観光客の誘致を目的としたモンゴル経済フォーラム2023は、今年「Welcome to Mongolia」というスローガンの下、首都ウランバートルで開催された。今回の経済フォーラムは、ナーダム祭を迎えていることもあり、国会議事堂およびチンギス・ハーン博物館で開催された。フォーラムは2日間にわたって行われ、国内外から2,200人のゲストや代表者が参加した。今回のフォーラムの内容、そして期待されることは何かについて紐解いていきたいと思う。経済成長時の資金調達には3つの方法がある。それは自己資本、負債、そして外国資本である。だが現状、モンゴル政府は歳入を超える歳出を抱えているため、自己資本、積立金というものは少なく、融資を受けようとも既に法律で定められた限度額に達しているため、外国資本を誘致するという選択肢のみとなる。また、外国の観光客を多く呼び込むことを政策として掲げている。(2023年に100万人の観光客)そして外国資本を誘致するために国内で取り組むべきことは山積している。 外国投資は、政府目線で モンゴルが民主主義国家と市場経済への移行を始めた1990年以降の33年間で、総額400億ドルの投資が外国から流入してきた。そのうち50億ドルは最初の20年間で、350億ドルは2010年以降に流入したものである。外国投資の4分の3は、鉱山採掘分野を占め、11%が貿易やサービス分野を占めている。 この経済フォーラムでは、投資とビジネス環境を改善するために講じている措置についてモンゴル政府により紹介された。それによれば、経済開発省は投資法改正案を作成しており、その改正案には、投資支援、投資家の権利と法的利益の保護、政府からの具体的な支援などが盛り込まれている。さらに、一部分野の法律で禁止されている投資制限に関する条項を撤廃するという。また、投資家は国際仲裁裁判所を通じて、投資に関する問題を解決することができるようになる。 また、国内企業と外資企業の法人登記期間や印紙税手数料の差を撤廃し、土地利用期間を明確にし、煩雑なビザや滞在許可の取得手続きも改善される。 さらに、税制および非税制上の優遇措置、投資環境の安定化、および5000億トゥグルグを超える投資条件を安定させるための規制がそのまま維持される。また、環境、土地、税務局、県などで重複していた監査を無くすために、これらの機関で合同監査を年に2回実施するという。 ザンダンシャタル国会議長は、このフォーラムで2019年の憲法改正でモンゴル国の開発政策は安定して維持されることが定められており、経済や投資環境の安定状況を確立するための関係法令の改正が実施されたと述べた。 しかし、モンゴルでは多くの優れた法律や規定が確定されてはいるが、それらの法律の施行が裁判段階で行き詰まってしまうことについて、このフォーラムでは議論されなかった。また、外国投資には、法律に加えて、自国通貨の為替レートが安定していなければならない。 …
新たな政治家の最初の会議(1990年2月24日) 〜モンゴル民主化運動の記録〜
FIRST EVER MEETING BETWEEN POLITICIANS (1990.02.24) モンゴルの新聞ウドリーン・ソニン紙(Udriin sonin)に最近、Ts.エルベグドルジ前大統領の手記が定期的に掲載されている。同紙2019年4月11日版には、約30年前に開催されたある会議についての記事が載っていた。この手記に書かれている「モンゴルの新たな政治勢力の初会合」は、モンゴルの学生連盟が起こしたものである。私はその会合を仲間と共に立ち上げた。私はこの会合の記録を付けていたため、それをここで読者の皆さんと共有したい。 「1990年2月24日土曜日」 08:30 モンゴル革命青年同盟中央局の発表 10:30 モンゴルプレス新聞の記者L.ガントヤーから、国際学生連盟、モンゴル学生連盟の現状についてインタビューを受けた。 14:30 元モンゴル学生連盟会長(この3日前にモンゴル学生連盟中央局会議で会長職を退いていた)、中央局書記長G.ガンボルドと面談し、モンゴル学生連盟の方向性について話し合った。…
MORTGAGE, INFLATION, AND YOU
Housing loans (mortgage) play a significant role in raising the standard of…
スマートな世界からインテリジェントな世界へ
〜MWC バルセロナ2023からの報告〜 2023年2月末、世界のモバイル業界最大級の展示会「MWC バルセロナ2023」に参加するためにスペインのバルセロナの空港に降り立った。空港で私たちを出迎えた男性にスペインのSIMカードを渡されたが、私の携帯にそのカードを挿入する箇所がなかった。そこでモビコムでeSIMにしたことを思い出した。今の新しい携帯にはプラスチック製のSIMカードを差し込む必要がなくなっている。 このMWCバルセロナ2023は、ロンドンに本部を置き、世界のモバイル通信事業者800社、関連産業に従事する400社が加盟しているGSMA「Global System for Mobile Communications Association」が1987年から主催してきた国際カンファレンスである。バルセロナでは2006年から開催されている。また、ラスベガス、上海などの大都市でも毎年開催されており、モバイル通信業界のあらゆるプレイヤーが集う世界最大級の有名なイベントである。 今年のMWCバルセロナ2023には、モンゴルのモバイル通信事業者となるモビコム(Mobicom)、G-モバイル(G-Mobile)、ユニテル(Unitel)、スカイテル(Skytel)、オンド−(Ondoo)や固定電話ネットワークのモンゴル電子通信社、情報通信ネットワーク国有企業、IPTVなどの企業が参加した。また、フィンテック業界の企業および政府代表者も参加した。 産業革命…
予算と負債、そして国民
BUDGET, DEBT, AND YOU 2022年11月11日に開かれた国会で、2023年のモンゴル国家予算案が承認されました。緊縮財政といわれるこの予算は、1兆4000億トゥグルグ、GDPの2.6%に相当する赤字が計上されている。しかし、赤字額は前年比の2分の1に減少したという。 来年、GDP成長率は5%まで上昇し、54兆4000億トゥグルグ(現在の相場レートで160億ドル)に達する見込みだそうだ。歳入は19兆トゥグルグ、GDPの34.9%、歳出は20兆4000億トゥグルグで、GDPの37.6%に相当する。2023年末にはモンゴルのインフレ率は1桁台になるという。 この予算は、新規投資の不実施、歳出の制限、投資やビジネス環境への税政策による支援、鉱業や産業分野の大規模プロジェクトの完了、エネルギー分野の新規プロジェクトの実施、ウランバートル市の公共交通機関の停留所改装、サービス分野の質に関する問題の包括的問題解決、交通渋滞の緩和、ウランバートルから地方への移住を支援するための税制や給与に関する政策の実施、経済の安定化、あらゆる段階での財政規律の実施を目指している。 果たしてこの予算はどれほど現実的で、国民の生活にどのような影響を与えるのだろうか? 負債 財政赤字とは、国の負債または借金ということである。マクロ経済の安定は、政府の歳入と歳出の規模が同程度の時にのみ維持される。モンゴル国は、2012年から外国人投資家向けに国債を発行してきたが、その資金を活用してドルを獲得できるような真の価値を生み出すことができなかった。そのため、金利と元本を返済するために更なる借金を積み増し、負債を負債で返済してきて今日に至っている。この無責任な行為は「再資金調達」という大層な言い方をされている。 2023年にチンギス国債の5億ドル、開発銀行発行の債券8億ドルを「再資金調達」する。もし国際的な融資提供者たちがモンゴル政府を信用せず、これらの借金の返済を要求すれば、モンゴルの外貨準備高28億ドルのうち13億ドルが債券の償還金に充てられてしまう。そのような事態に陥れば、モンゴルは2〜3ヶ月分の輸入代金を支払えなくなり、トゥグルグの為替レートが急落するということになる。そのため、政府は、財政規律がある国ということを証明するために、赤字のない予算を承認すべきだった。他方、政府の全負債はGDPの70%に相当する(その90%が外国向け債券である)ため、再資金調達はすべきではない。本来、国の負債はGDPの50%以下であることが理想だ。すでに莫大な借金があるにもかかわらず、さらに借金を増やせば、利息が増えていく一方である。 政府が削減すべきだった大きな予算の1つは、パンデミック時にGDPの4%に相当した子ども手当である。しかし政府予算には、月収350万トゥグルグ未満の各家庭の子どもに毎月100万トゥグルグ給付するという子ども手当が盛り込まれた。そしてこの子ども手当は、モンゴル国内の子ども全体の90%が対象になるが、これは2024年の総選挙を見据えた取り組みのようだ。この子ども手当を低所得世帯つまり貧困家庭の子どものみに給付すれば、コストは2分の1に削減され、GDPの2%に相当し、赤字のない予算になるはずだった。票目当てに子ども手当を広くばら撒くより、本当に必要な世帯に給付することが適切である。もちろん、これは政治家の選挙にかつ算段には適さないのだが。…
住宅ローンとインフレ
MORTGAGE, INFLATION, AND YOU 住宅ローンは、国民の生活水準において重要な役割がある。そのため、一部の開発途上国では、政府が補助金付きの融資を実施し、補助された金額を国の予算に反映させている。先進国では、住宅ローンは自由市場原則に基づいて行われ、専門の投資家がその事業を営んでいる。そこでは政府の関与が少ないため、どれほど質の高い不動産が建設されているかを国民は知ることができる。 モンゴルでは、住宅ローンは中央銀行のイニシアチブによって始められ、後に政府に移管されるとした。しかし、移管されることはなく、中央銀行は今日でも住宅ローンを手掛け、その補助金額は中央銀行のバランスシートに残っているため、インフレが進み、トゥグルグ安に拍車がかかっていることを人々は目の当たりにしてきた。 政府は、現状で住宅ローンを政府の予算に組み込むと財政赤字がさらに拡大するため、これを歴代政権が延期し続け、既に長い年月が経っている。もし政府が住宅ローンを引き受けた場合、政府は他の歳出を減らす必要に迫られる。 政府は、パンデミックの緊急事態に対応すべく関連法を制定し、住宅ローンの返済延長を認めてきた。このことがまた、商業銀行の企業融資を減少させている。本来なら新型コロナのパンデミックが収束しているため、この関連法の効力は年末には無効になるはずだが、住宅ローンの返済の延期を来年の上半期まで続けようと国会議員は話し始めている。 中央銀行は、商業銀行に利息0%で資金を供給し、商業銀行は国民に対して利息6%の融資を交付してきた。年平均して6,000〜8,000億トゥグルグの住宅ローンが交付されている。この金額はGDPの2%に相当する。 しかし、この多額の住宅ローンに付く金利は、モンゴル銀行の金融政策の外に置かれているため、インフレを制御できることは不可能となっている。今日、政策金利は12%になっているが、このローンの金利はわずか6%である。今年、インフレ率は13%になる。このような状況で利息6%のローンは誰にとっても魅力的なため、需要が急上昇している。 補助金付きの住宅ローンは、建築業界の支援にはなるが、その住宅建設資材の半分は輸入商品となるので、これが更にトゥグルグ安に影響を与えている。また、パンデミック後の輸入商品の増加、サービスの消費が増加し、国民も海外に行くようになったことも重なり、トゥグルグは急下落し、1ドルは3,400トゥグルグになった。通貨トゥグルグの価値はこの1年で18%下落したということになる。 このような状況の中で、中国との国境封鎖が解除され通常輸送が再開されるまで、また政府が2023年の国債の償還を履行するまで、住宅ローンを一時的に停止するか、住宅ローンを政府予算に移管させ他の歳出や投資を制限しなければ、インフレ率のより一層の上昇と為替レートの下落が私たちを待ち受けている。…
発展に導くフトゥル(KHUTUL)
私は2022年8月16日に開催された「フトゥル経済フォーラム」に参加した。国有企業セメント・ショホイ株式会社とセレンゲ県サイハン郡政府で共催となる初めてのこのフォーラムには、ゲストと代表者を合わせて200人が参加し、フトゥル市の発展の上での課題を探るべく、短期的および長期的計画についてプレゼンテーションが行われ、議論が交わされた。 フトゥル市は、工業団地を礎にした集落として始まった。1983年以降、セメントや石灰の工場を囲むようにして拡大してきたサイハン郡フルトゥ市は、1994年に国会決議第58号により市に昇格した。現在、人口は10,000人に達しており、そのうちの820人がセメント・ショホイで働いている。この工場の成長は、サイハン郡や周辺地域の発展に直結している。 フトゥル市が発展するまでの道のりは平坦ではなかった。もちろん、これからも多くの課題に直面するだろうが、将来を見据え、公正な制度を構築し、共に勇気を持って努力して取り組めば、人々が豊かな暮らしができる美しい都市となるだろう。 これまでの道のり フトゥル市にあるこのセメント企業は、1983年に設立された。設立当初は、ソ連の湿式工法や技術が導入され、年間50万トンのセメントを生産する能力を持っていた。しかし実際には、この生産能力がフルに稼働されたことはなく、生産量が年間36万トンを超えることはなかった。2001年、政府はこの企業を株式会社にした。 2010年、モンゴル国会は国有企業の民営化と再編成の主な方針を承認した。したがって、政府(当時のバトボルド政権)は、フトゥル市の国有企業セメント・ショホイ株式会社のセメントの生産技術を乾式法に転換することを条件に、国内外から投資を受け入れる決定を出した。その後、2011年1月17日に国有財産委員会(D.スガル委員長)は、国有企業セメント・ショホイ株式会社とベイズメント社の間での投資契約の締結を承認した。 2012年10月19日、ベイズメント社は、開発銀行から返済期限5年、年利8.1%で6,130万ドルの融資を受けた。この融資により、クリンカーを製造するラインを乾式法に転換し、セメント生産能力を年間100万トンに引き上げ、露天掘り鉱山と道路輸送の複合施設の建設を目指していた。2014年5月、乾式法によるセメント製造工場が稼働を始めた。 しかし、セメント・ショホイが債務超過となったため、2015年に政府(当時のサイハンビレグ政権)は、このセメント・ショホイを民営化することを決め、国有財産委員会(Ts.ナンザドドルジ委員長)は、ベイズメント社にたった13億トゥグルグで売却した。セメント・ショホイが所有していた、今後何十年も採掘できるほどの埋蔵量を誇る石灰鉱床、火力発電所、インフラ、工場などの売価は、ザイサン丘にある高級コンドミニアム1軒分の価格にも届かなかった。この事案は、国の資金を使って国の財産を「買収する」ことに長けている貿易開発銀行(TDB)のオーナー、D.エルデネビレグによる政治家と結託して金儲けをする始まりとなった。数ヶ月後、ベイズメント社は社名をフトゥル社に変更した。企業名を変更することで支払いの明細を混乱させるためだった。1990代にエルデネト鉱業をエルデネトコンツェルンに変えた詐欺スキームがこのように続いている。 2015年、民営化に伴い、フトゥルには石灰鉱床が2床あり、製造方法も乾式法技術に転換され、稼働は安定していた。また、製品の品質も向上し、インフラも改善され、専門的で経験豊富な人材が集まった。しかし、セメント製品を生産したセメント・ショホイには売上の僅かな部分しか入らず、ほとんどが貿易開発銀行と関わりのある中間業者が搾取していた。中間業者は、セメント・ショホイから市価よりも安く、時には原価以下の価格でセメントを購入し、市場に高値で販売していたため、セメント工場は赤字に陥った。セメント・ショホイは、それまでの負債を返済するどころか、従業員の社会保険料すら払えない状況となった。 アマルサイハン副首相は、「2015年初頭、フトゥルのセメント・石灰の工場を13億トゥグルグで買収した者たちは、開発銀行から無利子、無担保で3,000億トゥグルグの融資を受けたが、今日まで1トゥグルグも返済していない。さらに、税金や社会保険料など200億トゥグルグの未納がある」と発表した。 フトゥルの今 2022年3月23日、政府は、フトゥルのセメント・石灰の工場に関連する問題について議論し、国有財産として所有権を国に戻す決議を出した。国会は、2015年の民営化の決定を無効とする決議案を5月12日に協議した。国会議員B.エンフバヤルは、「この民営化は横領であり、審議もたった1日で行われた。この会社の設立者は、最高裁判所判事であるB.バトソィール氏の父親で、当時、貿易開発銀行(TDB)の法務課の課長だった。」と話した。…
現代美術―モンゴル社会を映す鏡
CONTEMPORARY ART – MIRROR OF MONGOLIAN SOCIETY (CONTINUED) 近年、現代美術は人気のある広告ツールのようになっている。モンゴルでは、どこでもあらゆるイベントやショー、コンサート、パーティー、セレモニーを開催する際、現代美術プログラムを盛り込む傾向にある。このようなイベントに参加し、携帯電話で写真を撮り、SNSに投稿することがトレンドとなっている。現代美術が伝統的なメディアおよびソーシャルメディアを通じて大きな話題となるようになったことは、社会の発展への一歩であるが、実際に美術をただ単にエンターテイメントと同一視する傾向が明白になりつつある。 本来、芸術、特に現代美術は、社会が直面している問題を直視し、原因を理解し、長期的な解決策を見つけるためにアイディアや動機付けを提供する力を持っている。このことをモンゴルのような人口の少ない国では、社会的意識や思考においてどれだけ重要かを理解し、催しで使われる美術を形ではなく、その内容に焦点を当てて企画し、主催者のマーケティングよりもアーティストの思想、意図するところを強調すべきだ。したがって、作品の社会への影響や意義について議論し、作品のさらなる理解に注意を払う必要がある。 2022年6月、モンゴル芸術委員会が国際メディア芸術祭を開催した。この祭典は、ウランバートルだけでなくサインシャンドなど、いくつかの地方都市でも開催された。この祭典のドルノゴビ県のプログラムには、「ホゥフナル(青い太陽)」という現代美術センターのアーティストたち(Yo.ダルハ−オチル、S.フラン、N.ソニンバヤル、D.エルデネジャルガル、J.シジルバートル、B.トゥグルドル、D.ツェングーン、E.エンフザヤー、J.アノナラン、D.オトゴンバヤル、B.バト−エルデネ)が、アートキャンププロジェクトで参加し、独自の作品を紹介した。 現代美術を上述した目的に近つけるため、ここでアーティストや主催者を褒め称えるよりも、今後のイベントをより効果的かつ成功させるために、何により注意を払うべきかについて私の所見を述べたいと思う。…