教育とは 特権ではなく 権利である

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EDUCATION IS NOT A PRIVILEGE, BUT A RIGHT

民主主義国家となったモンゴルに初めて私立の小中高一貫校が設立されてから25年が経つ。今日、小中高等学校に在籍する全児童生徒の7%、高等教育機関の全ての学生の46%が私立学校に就学している。803ある小中高等学校の160校が、34ある大学院のうち20校、48ある大学のうち44校が私立学校である。モンゴルでは教育が大きなビジネスとなり、今では教育分野への民間の参入なしではモンゴルの教育が立ち行かないまでになっている。

私立学校が設立されるようになり、社会にどんな変化をもたらしたのか。今後、教育において国はどんな政策を打ち出すべきか。そもそも教育の目的をどのように理解しているのか。モンゴル社会はいま一度振り返り、その成果を吟味し、評価する時が来ている。

私立学校の社会への影響

私立学校の数が増えたことにより、私立学校同士の競争が激化している。そして全国で、特に人口の半数が集中する首都ウランバートルで、学校を選択する機会は他の消費財のように幅を広げ、多くなっている。

商品の品質は価格に比例する。これと同様に良い学校の授業料は高額となる。私立の小中高等学校の児童生徒1人当たりの年間授業料は、2019年の時点で100万~5,800万トゥグルグであり、その平均は800万トゥグルグとなっている。また、就学前教育(私立の幼稚園)が数を増やしている。

私立学校の1クラスあたりの児童生徒数は、国立学校の3分の2ほどで、教員の給与は国立学校より2~10倍も高い。そして外国語の授業は外国人教師によって行われ、児童生徒が学ぶ学習環境は先進国と比べても遜色ないまでになっている。そのため私立学校の教育の質は高く、卒業生の殆どが世界でも有数の大学に進学するようになった。

しかし、子どもを私立学校に通わせることができる高所得世帯は少なく、今日のモンゴルでは質の高い教育はある種の「特権(privilege)」となっている。政府は、児童全体の大半(93%)が就学している国立学校に質の高い教育を提供するための十分な投資をおこなっていない。モンゴルは国内総生産の4.2%、国家予算の12.4%(2015年の時点)を教育分野に投資しているが、いまだに新たな学校も建設されず、児童たちは3部制で、1クラス50人で授業を受けている状況が続く。

国立学校に回す資金が不足しているにも関わらず、政府は授業料の高い私立学校に対しても国立学校と同様に児童生徒数に応じた補助金を交付している。他国では、もし国家予算から私立学校に補助金を交付する場合、授業料の最高限度額を定め、その学区で児童生徒の受け入れを要求する。モンゴルの場合は、私立学校に政治家の子どもや孫が通っている。また、政治家(権力者)たちが自らの私立学校を設立したため、不足している国の教育予算を彼らの私立学校に交付してきた。

政治家たちは、彼らの私立学校への補助金交付を法律に盛り込み、可決している。教育法第41条1項に「私立の教育機関の財源は設立者の資産、国による児童生徒数に乗じた補助金、授業料、寄付金、ソフトローン、学校の事業活動による収入で構成される」と定められている。本来、私立学校に交付する補助金の額は、毎年更新されるものだが、実際には更新されることは稀だ。これは誰かのロビー活動の成果だろう。教育文化科学スポーツ省は、全国に公平に教育を提供する代わりに、ケンブリッジプログラムや教育研究校など、一部の学校を区別し教員の給与を30%引き上げ、特別補助金を交付するなどの政策を続けている。

私立学校は、国立学校の優秀な教員を正規教員もしくは非常勤教員として高い給与で雇用するようになった。今日、私立学校は家庭の収入、子どもの才能で就学前児童を選抜して受け入れている。国立学校のように、その学区で児童を受け入れるという方針をとっていない。

この結果、モンゴルの社会格差はより拡大している。教育は利益を追求するビジネスとなり、社会は富める者と貧しき者の両極に分かれ、その差は加速度的に大きくなっている。教育格差は人の生涯に差をつける。子どもたちの間でも貧富によって差別する傾向が見られるようになった。

また、大学も学生数で国から補助金を受けていたため、一部の私立大学は教育の質ではなく学生の数を重視した。その結果、卒業生に就職先が見つからない、見つかっても能力が不十分で戦力にならないという傾向が続いている。大学を卒業しても無職となる人の数が増加し、学歴や専門知識を必要としない職に就く労働者が増えている。

教育政策

私たちは未だに生徒の成績で判断している。試験の点数が高ければ教育の質が高く、投資は効率的だったと考える。教育を生徒の試験での成績で測っているということだ。学校の教育カリキュラムに沿って学習すれば、生活向上や貧困から抜け出す機会となるという、本来の教育機関としての役割が機能していない。私立学校の出現は、社会における貧困を減らすのではなく、逆に社会における格差をより広げることとなった。

世界の国々の教育政策はモンゴルとはかなり違う。例えば、フィンランドでは教育の目的がスターを生み出すことではなく、社会における格差を少なくすることにあるとしている。フィンランドは、1980年に実施した教育改革で、学校は子どもにとって健康で安全な場所となるように取り組んだ。フィンランドでは学校給食は無償で提供され、さらに健康診断や心理相談、個別指導などが実施されている。その結果、2000年以降の経済協力開発機構(OECD)による国際学習到達度調査(15歳の生徒を対象に読解力、数学力、科学力を比較した調査)では、フィンランドは常に上位もしくは2位となっている。この調査では、韓国、シンガポールも上位に位置する常連国となっている。フィンランドの教育はなぜこれほど優れているのか。これについては、私がモンゴルの教職員たちによる「第7回教職員総会」に向けて書いた記事「教員の育成、国の発展」に詳しい。

教育の目的は、社会における公平さを形成することである。

2019年5月9日

日本語版制作:Mongol Izumi Garden LLC http//translate.mig.asia

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