2回目となる今回のデファクト・ワールド・シリーズは、中国内モンゴル自治区、南モンゴルの経済について取り上げる。特に乳業の生産と消費、そして南モンゴルの歴史と現代のフフホト市について紹介したい。
南モンゴルは、モンゴルとロシアに隣接し、面積120万平方メートルの広大な地域である。中国にある5つの自治区のうちの1つである。人口は2,400万人で、そのうち400万人がモンゴル人である。天然資源が豊富で鉄鉱石、石炭などの鉱物資源が多く、特にレアアースの埋蔵量は世界有数となる。
南モンゴルは、鉱物資源を賢く利用し、中国の工業化におけるニーズに応えてきた。過去20年間の中国の急速な発展に大きく貢献してきた。2022年のGDPは3,440億ドル、一人当たりのGDPは14,343ドルとなっている。家畜の数と構成は、モンゴルと同様であり、羊3,200万頭、山羊3,000万頭、牛470万頭、馬420万頭、ラクダ90万頭である。私たちは、世界的に有名なYiLi乳業を視察した。
牛乳の生産と消費
牛乳はビタミンやミネラル、特にカルシウムが豊富な栄養素である。そのため、一部の国では学校給食に牛乳が出されて(学校牛乳給食と国家の未来2020年1月21日No.131)いる。中国の2大乳業会社であるYiLiとMengniu(YiLiは牛乳や粉ミルクの中国市場の21%、Mengniuは16%を占める)はこの南モンゴルにある。
YiLiグループは1957年にフフホト市に設立され、1993年に再編成され、グループ会社となった。現在、南モンゴルフフホト市金山開発区に所在しており、フフホト市政府も会社の株式を保有している。2008年にこのグループが製造している乳児用ミルクからメラミンという化学物質が検出され、29万人の乳児に中毒症状が現れ、そのうち6人が死亡したという事件がありました。中国政府は、この事件を受け、食糧供給および生産に対する条件を厳格化した。
2019年、YiLiグループは、1937年に設立されたニュージランド第3位の乳業会社ウェストランドを買収した。現在、TiLiグループは、世界中に81の工場と67,000人の従業員を擁し、世界の牛乳生産会社のトップ5社の1社であり、牛乳、粉ミルク、ベビーフード、アイスクリーム、チーズなどの乳製品で中国最大の生産会社となっている。今日、YiLiグループは世界第3位を誇る優れた食品ブランドとなっている。
中国の牛乳生産量は2023年に4,100万トンに達し、2019年と比べて28%増加している。中国は、2022年に15億ドルの牛乳を輸入し、アメリカに次いで世界第2位の牛乳消費国となった。輸入牛乳の半分はニュージランドから、残りはドイツ、フランス、オーストラリア、ポーランドからである。また、同年の牛乳輸出額は2,500万ドルであり、その殆どが香港に送られている。
牛乳の消費量については、2023年にアメリカは2000万トン、中国が1600万トンである。しかし、一人当たりの牛乳年間消費量では、2021年にフィンランドは260kgと世界1位だった。中国の一人当たりの牛乳年間消費量は34kgである。これは牛乳生産が増加する市場余地が大きいことを示している。ちなみに、2021年のモンゴル人の牛乳年間消費量は193kg、ロシアは154kgだった(ourworldindata.org)。
南モンゴルの歴史
フフホト市に南モンゴルの巨大な博物館がある。建物の1階は自然博物館、3階と4階が歴史博物館となっている。ここには、チンギス・ハーンの孫であるフビライ・ハーンによって設立された元王朝(1279‐1388)時代、1330年の地図がある。この地図にはバイカル湖から北へウラル山脈までの土地が示されている。また、1433年の明王朝(1368‐1644)の地図がある。この地図には、北部が現在のモンゴル国領土全体、およびバイカル湖を含む部分は北元と呼ばれる場所が示されている。しかし、1820年の清朝(1644‐1912)の地図には、満州族占領下のハルハ、オイラートの土地がはっきり示されている。
北元は、モンゴル民族を統一したダヤン・ハーン・バトムンフの国家だったが、直ぐに崩壊した。歴史家バーバル氏によれば、北元はヒャンガン山脈からアルタイ山脈まで、バイカル湖から万里の長城に至るまでの領土があったという。そして、東にツァハル、ハルハ、ウリアンハイ、西にはトゥメド、オイラド、ヨンシゴイトという民族がいたという。これらの中で最も強力だったのはトゥメド族で、その指導者アルタン・ハーンは、1500年代初頭にフフホト市を設立した。満州清国の一部となった部分を内モンゴルと言い、特別な権限を持つ部分を外モンゴルと呼ぶようになった。
アルタン・ハーンは、黄教を広め、1557年にイフ・ゾー(Dazhao temple)仏教寺院の建設を始めた。1580年に完成したこの寺院を囲むようにしてフフホト市は拡大していった。この寺院の前にアルタン・ハーンの大きな像がある。これと同時期の1585年にアブタイ・サン・ハーンは、モンゴルでカラコルム市の古い寺院を修復し、それをエルデネ・ゾーと名付けた。
フフホト市について
内モンゴル自治区の首都フフホト市。500年の歴史を持つこの都市の人口は、現在340万人であり、84%が漢民族、8%がモンゴル族、残りはその他の民族である。この都市は、4つの県、1つの旗(ホショー)によって構成されている。
市内の道路はとても広く、幹線道路は片側3車線があり、広い自転車道、植林地、歩行者専用道路、補助道路が整備されており、すべてが適切に計画されているため、交通渋滞は発生しない。市内の東部と南部には、近代的な高層ビルと広大な緑地が組み合わされて建設されている。市の南部には大きな川が流れており、川沿いはスポーツやレクリエーションのためのエリアとなっている。
20年前にあった市内のゲル地区は、完全に住宅化されている。運転手によると、住宅の1平方メールの価格は、11,000元(1,600ドル)で、旧市街や市の西部では更に価格が安いという。
人々は中国語を話し、モンゴル人の中にはモンゴル語を話す人もいた。20年前には、すべて建物や通りの名前は、中国語とウイグル語で書かれていて、食事のメニューもこの2つの言語で書かれていたが、今ではほとんどが中国語のみで書かれている。ところどころに古い建物の住所がモンゴル語のまま残されている。小学校ではまず中国語を教えられ、その後モンゴル語を教えられるようになっている。
読者の皆さんに中国の北部に位置し、私たちの国と隣接している南モンゴルについて紹介した。■
2024年4月30日