WHO IS TO BLAME FOR THE FLOODS? (2009-2018)
今回は9年前の7月28日に書いた記事をそのまま皆さんにお届けする。モンゴル政府の能力がより悪化したことを、先日洪水に見舞われたウランバートルの姿が明らかにしてくれた。政権を握っている者たちはこの9年何も変わっていない。私たちはこれからの10年間も洪水による汚泥に悩まされ続けるのか?
世界的に有名な週刊誌であるエコノミスト誌(The economist)は1843年に創刊された。以来、毎号の目次には「進んでいる知性と、私たちの進歩を妨げる価値のない臆病な無知との間に存在する厳しい闘争に加わること(“take part in a severe contest between intelligence, which presses forward, and an unworthy, timid ignorance obstructing our progress.”)」という言葉が印刷されている。
イギリスで166年前に始まったこの争いは、今日のモンゴル社会で繰り広げられている。残念ながら、不平等なこの争いに知性は苦戦している。
洪水を心配するふりをする少数の人々、彼らは社会が無知であり続けることに関心を持っている。彼らは交互に政権を握り、巧みに共謀して国民の財産を奪い取っている。そのやり口は卑劣で、モンゴル国民の安全と自由に深刻な損害を与え始めた。
これを明らかにし、迫りくる大きな危機を忠告しているかのようなことが起きた。それはこの数日の間降り続いている雨とそれによる洪水だ。
わずか数時間のうちに降った大雨が洪水となり、ウランバートルの街は数日間に渡り都市機能が麻痺、多くの人々が生命と財産を失った。ウランバートルを取り囲む丘陵地帯から溢れた洪水は家々を飲み込み、市街地には汚泥が流れ込んだ。雨が止み再び太陽が顔を出すと汚泥の悪臭と粉塵が空気中に漂い、それは人々の肺に入り、目のかゆみや悪寒に襲われる。ゲル集落や新築住宅の住民は、天井からの雨漏りにバケツを置いてしのぎ、亀裂の入った壁や床を覆い尽くす流れ込んだ汚泥を目にし、何をするべきか分からない状態にいる。
洪水による被災者の救援や破損した橋や道路の修復は言うまでもなく必要だが、市民は数時間の雨でどうしてこれほどまでに甚大な災害が起こったのか、また今後同じような災害が起きないようにするにはどうすれば良いかを考えなければならない。
“ウランバートル市の政府高官は、これは自然災害だから仕方がないという。災害復旧のため地方は政府へ支援金を要求し、官僚たちは誰が責任を負うべきか追及するように部下に命令する。彼らはこのような茶番劇を繰り広げ、あたかも問題解決のために取り組んでいるように見せてはいるが、実際には何も変わっていない”。
問題の根本的な原因を取り除かない限り、この様な洪水災害は来年も起きる。そして根本的な原因とは、モンゴル社会の深淵の底に横たわっている公的ガバナンスの危機である。公的ガバナンスの危機を招いている張本人は、この洪水による被害だけでなく新たに建設された住宅の崩壊などにも責任をとるべきである。
ウランバートルの歴代の市長たちは都市計画、インフラを適切に整備してこなかった。彼らは私腹を肥やすために都市部の土地を不法に売却した。そのせいで既存のインフラへ接続可能な土地が無くなる事態となったことを、ウランバートル市民は知っている。
ウランバートル市の外れに位置する区の区長も賄賂を受け取り、その職権を利用して土地所有許可を出している。結果、無計画に住宅が建てられ、その影響を私たちが受けている。社会主義時代に建てられた洪水を防ぐためのダムはゴミで埋め立てられているか、或いは建物が建っている。だから少しの雨でもウランバートル市内は洪水が起こるようになった。不法な土地売却により殆どの通りの入口が住宅の塀で塞がれ、消防車も通れないようになった。火事になると並びの家々がすべて焼けてしまうほどになっている。
公共の財産を守るべきウランバートル市長は、長年にわたり公共の財産を横領してきた。ウランバートル市長は市民により選ばれず、その時の政権から任命される。政権が代わる度に公共の財産は奪われ、その結果が今日の災害を招いた。種を蒔いたものしか収穫できないということわざの通りである。
“権力者にとってはウランバートルのインフラ整備は進まない方が都合が良い。ウランバートルに整備された道路や上下水道などのインフラが整えば、権力者たちは工事に伴う賄賂や土地売買での利益を得られなくなる。職権を利用して欲望を満たすことが出来なくなってしまえば、誰も政府の職に就かなくなるかもしれない”。
公的ガバナンスを向上させる方法を誰もが知っている。それは公共の財産を横領してきた一部の人たちの責任を政府が先頭に立って追及することである。
政党の中に良心のある人が少しでも残っているならば、公共の財産を横領している党員の責任を追及し、汚された政党の名誉を取り戻さなければならない。もしこれが実現すれば、今の社会をより良い方向へ導くことができる。もし手をこまねいていて何もできなかったら、時が政党の犯した罪の責任を問うことになるだろう。それは彼らが政党と共に消滅することを意味している。重い病を患った者は治療して治すか、ただ死を待つかである。
最終的には知性が無知との争いに勝利することは歴史が物語っている。その時が来るのは時間の問題だ。いつの日かウランバートルは一つのゲルもない都市となる。公的ガバナンスが正しく機能した社会には腐敗は無く、全ての市民はインフラが整った住居に住むようになる。
その時、人々は好き勝手にゲルを建てて住み着くことが無くなる。そして数時間の雨で洪水になることは無くなるだろう。誰もが安全で快適な住宅を購入して暮らせるようになる。
問題は、その日がいつ来るかだ。
“ウヌードゥル新聞” 2009年7月28日
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