思考の“スボートニク”

Jargal Defacto
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CLEANING UP OUR MENTAL MODEL

この数日は国会議員や閣僚、政府高官が中小企業開発基金から資金を横領した問題が全国的に話題となっている。ソーシャルネットワーク上では「絶対に許すな」を合言葉にした波が広がっている。少数だが人々がウランバートルの中心にある広場に集まり、国会の解散を要求している。

Kh.バトトルガ大統領は国会解散の要望書を国家大会議議長に提出した。国民は中小企業開発基金の他に27ある基金の報告書の公開を政府に要求している。また、チンギス債権をはじめとするその他の国債、価格維持の名目でモンゴル銀行(中央銀行)が交付した数兆トゥグルグの補助金の行方とその返済について目に見える回答を要求している。

実際、モンゴル国民は権力者たちが公共の財産を横領していることを知っていた。マスコミも権力者たちによる横領問題を報道してきたし、私自身、権力者たちがウランバートルの土地を横領していることについて確たる証拠をもって記事を書き、「ザイサン化」という言葉まで作ったほどだ。これにはネット上で一部の人々が賛同してくれたが、モンゴル社会は沈黙を守り続けた。しかし今日、国民の多くが関わる中小企業に渡るはずの資金を国会議員が盗んでいたという事で、多くの人が声を上げることとなった。しかしながら、国民の殆ど、特に学歴や教養がある人たちは静観している。

現在モンゴルでは、経済ではなく政治による腐敗が危機的レベルにまで達している。腐敗の背後には政党による資金調達の仕組みがある。私は政党の資金調達の透明性を求めて10年近く毎週書く記事やテレビ番組、ソーシャルネットワークを通して訴えてきた。しかし、国民は政党に根付く腐敗について見ても見ぬふり、聞いても聞かぬふりを続け、党員は党首に自分の意見を主張することもできなくなった。

権力者たちがあらゆる資産、資金、土地、資源を横領しているにも関わらず、国民は黙って何も行動を起こさないことに私は驚きを隠せない。国民は知らない、聞いてないのではなく、誰もが自分の事だけを考え、他人に対して無関心でいるからだ。情けないことに私たちモンゴル人は自己中心的で、自分さえを良ければ後はどうでもいいという思考が根付いていている。

どうしてこうなってしまったのか。何をどう変えなければならないかをシステム理論の「氷山」をモデルとして4つのレベルに分けて説明しよう。

目視レベル

これは今起こっている問題全体の10%にあたる、水面上に見える氷山の頂上部分である。これには、発覚した中小企業開発基金の資金を政党の権力者たちが如何に分け合ったか、また600億トゥグルグ事件1、国債発行で集めた資金の返済などの問題が含まれる。

国会は、配偶者名義の会社に基金から低金利融資を交付した大臣を解任したが、国会議員の特権を残すという決定を下した。これは、他の議員たちも中小企業開発基金から低金利の融資を受けているので、我が身可愛さで議員としての特権にしがみついているからだ。2実際に中小企業開発基金から融資を受けた議員たちが融資を返済し、議員辞職したとしても公共ガバナンスにおける危機は解決されない。なぜなら議員や政府高官たちは、次はより狡猾な方法で公共の財産を盗み続けるからだ。

※1。600億トゥグルグ事件:政権に就いた与党が大臣などの役職に値段をつけ、党員に売った事件。値段の合計が600億トゥグルグだったことからこの名前がついた。

※2。モンゴルの国会議員には免責特権が認められていて、議員在職中は罪に問われない。

行為レベル

水面下でも同様の問題が起きていて、いつかは全てが水面上に浮かび上がるだろう。腐敗の形は変わっても内容は全く同じであり、政府は国民ではなく、政治家の企業のための働きは舞台の裏で続く。

中小企業開発基金から融資を受けていた者たちを突き止め、返金させたとしてもその他にまだ20余りの基金、クリーンな名前が付いた国債に関する問題がある。これらが1つずつ水面に浮かび上がってくる。浮かび上がった問題を追及し、公共の財産を横領した者に責任を負わせても(人民党、民主党が政権を握っている限り、モンゴル人は正義が勝つことを見ることはないかもしれないが)、もしくは新しい政党が政権を握っても同じようなことが起きないという保証はない。その理由は、不公平な状態を生み、助長している体制はより深い部分にあるからだ。行為レベルを改善しても、問題は長期的には解決とならない。

制度レベル

次々と繰り返される事件、出来事は更に下にある制度によって引き起こされる。今日のモンゴル政府及び各行政機関、法を遵守し執行するべき警察、軍部、ビジネスにおける規制、インフラ、税金などあらゆる体制が腐敗を量産している。Kh.バトトルガ大統領は構造改革を訴えている。しかし、改革後の新しい体制が政治的な犯罪や政府に忍び込んだ腐敗を根絶できるという保障はどこにもない。職務権限を悪用した者を処罰し構造改革を行ったとしても、次の体制の権力者たちはより巧妙に盗み方を考え出すだろう。

思考レベル

制度をより良くする最良の方法は、それを構築する思考レベルにある。いかなる問題も思考レベルで正しく認識できれば、氷山の頂上までの体制が整備される。先進国はまさにこのレベルの改革ができたからこそ国民は豊かな生活と幸福を手にしている。だから、モンゴルは先進国を目指して前進する必要がある。

思考レベルには、国民性、モラル、姿勢、価値観、道徳、期待などが含まれる。これが礎となり体制、その上の行為に反映される。私たちモンゴル人は思考レベルでの改革をせずに社会的発展は望めないし、それに伴う多くの問題を解決できない。私たちは自分たちの思考や姿勢を変えること、子どもたちや次の世代をいかに教育するかに全てがかかっている。私たちは何を注意しなければならないのかをいくつかの事例でみてみよう。

  • 私たちは子どもを人に負けないようにと教育している。しかし同時に正義や正しい行いについては教育しない。大人が手本を見せないから子どもたちはどんなことをしてでも人の上に立とうとするようになり、勝つためなら何でもするようになっている。だから、今日の社会では、権力者の「カバンを持ち」となり、裕福になる野望と機会を伺う人が多くなっている。
  • モンゴルの12年制の学校では、教師が優秀な生徒に対して試験中に成績が悪い生徒に解答用紙を見せるようにと指示している。これは知的財産の侵害を助長し、学生が他人の書いたものをコピー&ペーストする習慣を定着させている。
  • もう1つの例は、ある小学3年の生徒が学級委員長になるためにクラスメイト全員に1000トゥグルグを配ったということがあった。私たちは子どもに他人と同じく強い者に従い、他の人より先に声を出さないようにと教育している。これが子どもに自信を持てなくし、臆病者にしている。

今のモンゴル社会には、正義を守り、人を愛し思いやること、嘘をつかず、他人のものを盗まない、他人の資産を保護し、名誉を尊重するなどの道徳心が欠けている。モンゴルに不公平な行為と戦うモラルが定着していない。

私たちは思考レベルで改革を行い、互いを思いやり、協調性をもって生きる文化、モラルを身につけなければならない。これができた時にあらゆる制度が正常化する。政治や法律を改善し、国民がそれをしっかりと堅守し、法律に違反した者に責任追及ができるようになれば、私たちはモンゴルで豊かに暮らすことができる。

 2018年11月14日

日本語版制作:Mongol Izumi Garden LLC http//translate.mig.asia

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