都市から地方への移動はいつ始まるのか?

Jargal Defacto
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HOW CAN REVERSE MIGRATION HAPPEN?

人口移動は人間の自然な動きである。世界中で地方から都市への移住人口は、都市から地方へのそれよりも多くなる。これは世界中の国々で都市化が進む傾向にあることを示している。この傾向は発展途上国や貧困国でとりわけ顕著である。そのため、この「都市への一極集中」を調整する必要性が生じてくる。

では、モンゴルでこの人口移動はどのような状況にあるのか。人口移動がどのような結果をもたらすのか。それをどのように解決するのか。優先的に注視すべき問題は何か。このことについて人々は共通の理解を持ち、政府が効率的に対策を実行できるよう協力しなければならない。

都市への移動

モンゴルでは、地方から都市への移住人口が急増を続け、2019年末の時点で首都ウランバートルに人口全体の約半数を占める47.6%が居住しているという統計がある。首都の人口比率は、1990年に27.2%、2000年に33.1%、2010年に45.1%と増え続けてきた。そして、ゴビ−アルタイ県、ザブハン県、オブス県、アルハンガイ県、ドゥンドゴビ県、トゥブ県の人口は、過去20年で減少している(労働社会保障省)。

こうした中、地方の自然災害への対処力が低下している。都市には地方に比べて教育を受ける機会が多く、就職できる環境や条件がより整備されており、近年インフラが改善されてきたことが、都市への移住の急増を加速させている。

地方から都市への人口移動は都市化を加速させ、さらに、人口急増やそれに伴う騒音、大気や土壌、水源の汚染、インフラ敷設への過剰負担をもたらした。

ウランバートル市役所は、2017年から2020年にかけて地方から都市へ移住してくる人の登録を制限したことがある。この制限で登録される人の数は減少したものの、未登録の移住者の減少には繋がらず、この制限は移住者の83%には何の効果もなかったという調査結果がある(IOM、2021年)。2017年に首都ウランバートルで登録された移住者数は25,000人だったが、2019年には6,800人に留まっている。未登録の移住者は、経済的、社会的、および健康上のリスクに直面し、基本的な社会サービスを受けられない状況にある。

1958年に中国ではこのような戸口登録制限(戸口は戸籍のこと)が実施され、2014年から人口数が300万人以下の都市で解除された。中国の大都市では、登録手数料を支払うほか、高所得であること、パーマネントな仕事があること、外国留学経験があること、親戚が都市の「戸口」を持っていることなどの条件(Chan and Buckingham、2008年)を満たしていなければならない。戸口がなければ、都市で仕事をすることや教育を受ける、医療サービスを受けるなどの人としての基本的な権利すら持つことができない。

実際、民主主義国家であるモンゴルでは、国民一人一人がどこに住み、どのような仕事をするかを個人が決める権利を憲法で保障されている。モンゴル政府は人口移動問題が、行政的ではなく経済的な問題であるということを、モンゴルの過去の経験や中国の事例から十分学んできたと思っていた。しかし、つい最近、D.スミヤバザル市長は、2027年まで移住者の登録を制限する政策を打ち出したが、幸いなことに良識ある市民大評議会が反対し決定されることはなかった。だが問題は大きくなる一方であり、解決策は何一つ示されないままである。

地方への移動

都市への一極集中を減らすための一つの方法は、都市から地方への市民の移住である。2015年から2020年までの間に都市から地方に移住した人の数は43,478人であり、このうち、トゥブ県、セレンゲ県、オルホン県にそれぞれ3,000人以上が移住したという統計がある(国家統計局)。都市から地方への移住に関するデータは非常に少ない。各世帯の移住歴は異なるものであるが、成功事例もいくつかあることがわかった。

画像の日本語↓

モンゴルにおける都市から地方への移動傾向

(国家統計局の2015から2020年のデータ)

3000人の移住

2000−3000人の移住

1000−2000人の移住

1000人以下の移住

合計43,478人

出典:労働社会保障省、2022年6月28日

先日、ウランバートルで「地方移住に関する討論会」が開催された。私はそこへ招待され、いくつかの成功事例を聞くことができた。その1つの事例は、首都ウランバートルからホブド県ドゥルグン郡に移住し、そこで自分たちの仕事とライフスタイルを確立し、それをSNSで全国に発信し、共有している若い夫婦Ch.ユルォールトゥブシン氏とS.ブヤントグトフ氏のことである。ウランバートルでは、年間平均して845時間を交通渋滞に費やしているという計算がある。この時間を外国語の習得やスキルアップのために使ったこの夫婦は、ドゥルグン郡中心地に英語クラブを設立し、県民にオンラインを通して教育サービスを提供している(FB:田舎の家庭)。

他にもこの様な事例がある。首都ウランバートルから生まれ故郷であるザブハン県に家族で移住し、そこで製パンビジネス(Batmax Co)を始め、成功しているG.アマルザヤー氏である。G.アマルザヤー氏(FB:Zaya Guna)は、アイルランドに留学し、修士号を取得した人物である。

首都ウランバートルからフブスグル県に移住したB.トゥブシン氏(FB:Tuvshin Bayasgalan)は医師である。彼は、そこで医師としての仕事をしており、ガンの手術を行っている。トゥブシン氏の存在のおかげで、治療のために何度もウランバートルに通わなければならなかった何十人もの患者の治療費が節約されている。

この他にも、ウランバートルから生まれ故郷であるブルガン県に移住し、家畜産業を営んでいるモンゴル国営テレビの元ジャーナリスト、Kh.エルデネブルガン氏(FB:Mongol ovogt Khishigiin Erdenebulgan)。ウランバートルからウブルハンガイ県に移住し、そこで縫製工場を立ち上げ、多くの人々を雇用しているJ.オユンチメグ氏(FB:Oyunchimeg Batzuu)などの成功事例がある。

彼らは、地方に移住することの利点として、綺麗な空気、交通渋滞のない生活、学校の児童の定数が少ないこと、人々の親密な関係、そして都市の人の目で見て巨大なビジネスチャンスがあることを挙げている。彼らは、モンゴルのどこの県や郡でもインターネットが普及しており、舗装道路が整備され、世界のどこからでも買い物ができ、教育を受ける環境が整備されていることを強調している。

地方での移住における難点としては、住宅や工場用の建物が少なく、経験や能力を有する人材が不足している。学生がウランバートルで大学に進学し、卒業後にウランバートルで家庭を作り、子どもの面倒をみてもらうために地方から親を都市に呼び寄せる、こういったケースが多く見られる。こういった人たちは雇用基金からビジネスのための支援を受けることができない。それには様々な規定が邪魔をしているからだ。若い人たちを進むべき道へ正しく導き、彼らの職業を地方に繋げてあげれば、地方への移住は増えるはずだ。

例えば、県中心地の学校の生徒の制服や軍および警察の制服は、その地方の環境条件やスタンダードに応じて作るということにすれば、それが年間を通して地方の大きなビジネスになる。また、各県にゲルの外側のカバーシートや民族衣装の大きな需要がある。その土地土地に縫製工場を建て、最新の機械を置き、従業員を訓練すれば、彼らは200万から500万トゥグルグの月収を受け取ることができるようになる。モンゴル政府の新復興政策により、地方での工場建設は免税となったことを称賛したい。

将来的には、賃金の範囲を都市から地方に合わせるのではなく、地方で直接的に定めるようになること。地方で英語教育をより普及させ、教育環境を整備すること。地方住民の啓蒙活動に特に注意を払うべきであること。そして経済的手段、その中でも特に税収およびその他の手段によって、県の開発を支援する必要がある。例えば、全国規模で祝っているナーダムをオリンピックのように、各県が競争して勝利した県で開催されるようにして、各県で開催できる仕組みにすれば、観光分野において大きな影響を与えるだろう。このように様々な可能性が考えられる。政府に対し、人口移動を発展における問題ではなく、機会であると捉えるように要請したい。

2022年7月6日■

日本語版制作:Mongol Izumi Garden LLC http//translate.mig.asia

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