モンゴルのフレルスフ大統領の招待により、2023年9月1日から4日の期間でバチカン市国および全世界のカトリック教徒の精神的指導者である教皇フランシスコがモンゴルを訪問した。教皇を乗せた特別機は8月31日にローマを出発し、モンゴルのチンギス・ハーン国際空港に9月1日到着した。
教皇の訪問に70人以上の国際ジャーナリストが選ばれ、教皇を乗せた特別機に同乗した。私は、この歴史的な訪問に最初から最後まで参加する機会を得たため、ここで教皇の訪問の内容を読者の皆さんに紹介しようと思う。
モンゴルへ向かう
飛行機が離陸した後、教皇フランシスコは記者団が乗っている客室に来られ、全員と握手し、挨拶し、個人的な質問に答えながら両側の通路をぐるりと一周し、全員の前で立ち止まってこのように語った。
「私は心の底からこれを言いたい。モンゴルに行くということは、人の少ない広大な土地に行くということです。そう、モンゴルは果てしなく広く、人口は少ないのです。私たちはモンゴルの静かな草原と平和を理解する必要があります。それは考えるより感じる方が理解できるかもしれません。モンゴルの広大な草原を表現したボロディンの曲を、もう一度聴きたくなりました」。ロシア帝国の作曲家アレクサンドル・ボロディンが作曲した交響詩『中央アジアの草原にて』1880年。
教皇のその言葉を裏付けるかのように、モンゴルの広大な平原は緑と青空で教皇の一行を出迎えた。モンゴルは、国家儀仗隊と政府高官とともに教皇を出迎えた。
古代の歴史に思いを馳せて
教皇は人々に向けて、「ちょうど777年前の1246年8月末から9月初めにかけて、司祭ヨハネ・プラノ・カルピニは、モンゴル帝国第3代皇帝グユクのもとを訪れ、教皇インノケンティウス4世の手紙を手渡した。その後、モンゴル縦文字で書かれ、モンゴル帝国の皇帝の印章が添えられ、多くの言語に翻訳された返信の手紙がバチカン図書館に保管されています。本日、私は敬意を持って、高度な技術を用いて最高の品質で複製されたこの手紙の複写をあなたに手渡します。この贈り物が私たちの古くからの友情の象徴となり、それが今拡大し、新たに発展しますように。」と強調した。
今日のモンゴルについて
「今日、モンゴルは多くの国と外交関係を持ち、国連の積極的な加盟国であり、人権の尊重と平和構築への取り組みにおいてアジア大陸だけでなく、国際舞台で重要な役割を果たしています。私はここで、モンゴルが核兵器不拡散政策を採用し、非核兵器国であることを世界中に宣言しているという英断を強調したいと思います。モンゴルは平和外交政策を持っており、民主主義国家であるだけでなく、世界平和に貢献する使命を持っている国でもあります。さらに、モンゴルは司法制度から死刑を廃止したことがとても重要な一歩です。」
世界に向けて
「モンゴルの伝統的なシャーマニズムの包括的なビジョンと、すべての生き物を慈悲する仏教の哲学は、世界を愛し、保護するという先延ばしにできない重要な任務において、大きく貢献することができます。
紛争に見舞われているこの世界を天が祝福し、かつては紛争のなかった“モンゴルの大平和(pax mongolica)”のような国際法と規範が尊重されますように。
モンゴル人は『雲が消えても空は残る(雲は移動し、空は晴れる)』と言います。兄弟として仲良く暮らしたいという人類の共通の願いによって戦争の暗雲が消え、紛争が対話によって解決され、すべての人の基本的人権が保障されますように。偉大なる歴史を持ち、天に祝福されたこの国から未来の平和のために皆で力を合わせていきましょう。」
信教の自由について
「みなさんが今日までずっと崇拝してきた永遠の青空を仰ぐということは、宗教の教えを尊重し、寛大な心で接していることを意味します。精神と信教の繊細な感覚は、モンゴル文化のあらゆる細胞に深く浸透しているため、モンゴルは信教の自由の象徴であって当然なことなのです。
あなたたちの祖先は、多様な視点と人生経験を結びつける独自の能力を向上させてきました。このことは多くの宗教の共存にも現れていました。古都カラコルムにキリスト教やその他の宗教の礼拝所が存在していたことが、様々な神聖な習慣や伝統が尊重され、平和が保たれていたことを証明します。このため、みなさんは精神的および信教の自由を達成し、それを憲法で保障したことは、モンゴル国民にとって当然のことだと言えます。
みなさんは、宗教が発展を遅らせるものであり、廃止すべきだという無神論者の言葉に血を流さずに乗り越え、独自の信教を持つ信者間の適切な関係の基盤と意義を尊重し、人間の道徳および精神の発達に貢献してきました。
このことにモンゴルのカトリック教徒が貢献していることを嬉しく思います。30年前、カトリック教徒は初めてモンゴルのゲルの中で活動を始めましたが、現在は首都にあるモンゴルのゲルの形をした教会で活動をしています。」
モンゴルの国民に向けて
「果てしなく続く地平線を眺め、沈黙の中で内なる平和を広めるという運命を持って生まれたあなた方モンゴル国民は、精神の繊細な感覚を完成させてきました。あなたたちを取り巻く無限の自然現象は、あなたたちにシンプルさ、倹約、そして重要なことに意義を示す素晴らしい感覚を育みました。この場をかりて、今日、消費者主義が社会にもたらしている悪影響と脅威について、私の懸念を共有したいと思います。このような考えは、不公平を確立させるだけでなく、他者への無関心や既存の慣習の無視に導く利己主義にもつながっています。
いかなる宗教であっても内部分裂がなく、独自の精神的なルーツを保っている限り、それが健全で発展した社会を構築することができるという力となります。信者たちは、そのような社会で平和に共存し、政府の政策のビジョンがすべての人の幸福に向けられるよう努めています。さらに、宗教はあらゆる人の社会発展に重大な脅威をもたらす腐敗に対する免疫力となります。腐敗は、国家を滅ぼしかねない消費を崇めた、不道徳的な考え方の結果であり、それは私利私欲に駆られ、公衆から孤立し、空を見上げることさえもできなく、公衆の前に顔を見せる場所がなくなることの始まりです。あなたたちの祖先や皇帝は、視線が高く、広大な大地を眺めるように教えました。
その広大な大地の帝国を統治する際に、あなたたちの祖先は、その地域で特別な才能を持つ人々を探し出し、彼らを公衆の共通の利益のための行政上の地位に任命していました。このモデルを振り返り、現在の状況に充てることが重要です。」
つまり教皇は、モンゴルの有名な詩人が言ったように、「空のようにいなさい」ということを強調した。
ローマへの帰途
質問:今回の訪問の主な目的は何でしたか?
「モンゴルを訪問するという考えは、私が少数のカトリック信徒(community)について考えていた時に初めて思いつきました。今回の訪問で、私はカトリック信徒たちと会い、モンゴルの歴史と文化について話し合い理解するとともに、モンゴル人の背後にある神秘的な性質(mysticism)を認識することを目指しました。
自分の信念を共有することは、他の人に自分の宗教を信じるよう説得することとは異なることを理解することが重要です。説得による宗教への参加は、人々を常に縛ります。教皇ベネディクトは、『信心は説得によってではなく、惹きつけられることによって達成される。』と述べています。
神の教えが広がると、その土地と文化と統合します。宗教は家庭文化に浸透し、家庭文化は神の教えを同化させます。そのため、キリスト教徒は独自の文化的観点から表現しています。これは宗教的植民地とは全く異なります。
私にとって、今回の訪問は、モンゴルの人々を理解し、彼らと会って話し、彼らの文化を吸収し、モンゴルの人々とその文化や伝統を尊重し、カトリック協会の旅路におけるパートナーとなることでした。私は訪問の結果に満足しています。」
質問:あなたは、今日の文明の衝突は相互理解によってのみ解決されなければならないと言われました。では、ウランバートルはヨーロッパとアジアの架け橋となり、各国が理解し合うことのできるプラットフォームとなることができるでしょうか?
「できると思います。モンゴルにはそうした相互理解の基礎となったとある興味深いものがあります。私はこれを第三の隣国の神秘的性質(Third neighbor mystique)と呼んでいます。皆さん、ウランバートルは海から最も遠い首都だと思っているかもしれません。しかし、私たちはモンゴルをロシアと中国という2つの大国の間にある国だと考えています。そのため、その神秘的性質とは、第三の隣国であっても分り合おうとすることです。皆さんは、2つの隣国ともともと良好な関係を築いていますが、第三の隣国とも関係を結んでいることは、彼らを否定するためではなく、モンゴル人が大切にしている特質を世界に認識させ、また他の国の特質を自国に取り入れるためだと私は見ています。
皮肉なことに歴史を通して、異国の地への探検は常に植民地化や征服と混同されてきました。しかしモンゴルは他国との第三の隣国の神秘的性質を相互理解しようとする哲学的使命を持っています。モンゴルのこの第三の隣国というフレーズを私はとても気に入りました。これもモンゴルの一つの富です。」
訪問の成果
教皇は歴史上初めてモンゴルを訪問し、14億人のカトリック信者を含む世界の人々に独立国であるモンゴル、モンゴル人、モンゴル国の文化と伝統、そして古代歴史を紹介した。モンゴルは、表現の自由と信教の自由、そして人権を尊重している国であることを証明した。また、モンゴル人の歴史は、異なる視点と他の宗教を尊重し、認め、平和的に共存できることを示してきたことを強調した。
さらに教皇は、モンゴル人が直面している最も大きな試練の根源を特定し、どのように解決できるかについて自身の意見を共有した。教皇はこの世界をモンゴルゲルに例えて、互いをありのままに尊重し、自然と調和して生きるという哲学を全人類に向けて発信した。「私たちはみな兄弟である(Fratelli tutti)」という言葉が好きだと教皇は言った。■